雄大で威風堂々とした構えを持つ仁王門。
そこをくぐると現れる山の傾斜面に築かれた厳格さと優雅さを備えた登廊(のぼりろう)。
その横に広がる赤やピンク、白と言った鮮麗な色彩が訪れた人達の感情に潤いを与えてくれます。
毎年4月下旬から5月上旬にかけて境内に花を咲かせる7,000株、150種類以上の牡丹は真言宗豊山派総本山の長谷寺(はせでら:奈良県桜井市)のトレードマークのような存在と言えるでしょう。
しかも、このお寺は四季を通じて牡丹だけでなく幾種類もの花によって異なる姿を演出します。
それが「花の御寺」と称されるゆえんです。
人生には人それぞれに転換期、いわゆるターニングポイントが有ります。
長谷寺にも大きく三つのターニングポイントが3人の僧たちによって形成されたようです。
まず、その一つ目。創建についてです。
詳しい時期は不明のようですが寺伝によると686年(朱鳥元年)、道明(どうみょう)が現在五重塔が建てられている辺りに「銅版法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」と呼ばれるものを安置したのが始まりだそうです。
続いて二つ目。
こちらも伝承の域を脱しないようですが727年(神亀4年)、徳道(とくどう)が現在の本堂の地に本尊の十一面観音像を祀って開山したと言われています。この十一面観音像は高さ約10メートルあり国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では日本最大のものです。
↑十一面観音像が祀られている本堂
少し話はそれますが長谷寺と聞いて鎌倉の長谷寺を思い浮かべた人もいるのではないでしょうか。
実はこの二つの長谷寺、大いに関係があります。
鎌倉の長谷寺も徳道が開山したとされています。そして鎌倉の長谷寺にも十一面観音像が祀られています。
徳道はクスノキの大木から二体の十一面観音像を彫り、一体を奈良の長谷寺の本尊とし、もう一体を海に流したそうです。そして、その15年後に三浦半島に流れ着いて安置されたのが鎌倉の長谷寺にある十一面観音像だとか。これまた伝説の域を脱していないようですが興味深い伝説ですね。
鎌倉の長谷寺は紫陽花で有名ですよね。「西は牡丹」「東は紫陽花」と言った感じですね。
三つ目のターニングポイントとして1587年(天正15年)専誉(せんよ)が今の長谷寺の形を作り上げました。
さて、以上のような経歴を持つ長谷寺ですが、おそらくその景観の美しさからでしょう紫式部や清少納言も訪れたとされ「源氏物語」や「枕草子」など日本を代表する多数の古典に登場しているそうです。
古典と言えば和歌もその一つですが和歌と言えば枕詞(まくらことば)が用いられる事が多々ありますね。
「飛ぶ鳥の」と言う枕詞があり、これに続く言葉は「明日香(あすか)」だそうです。
これにより枕詞である「飛ぶ鳥(飛鳥)」そのものを「あすか」と読むようになったとの事です。
では、もう一つ。「長谷(ながたに)の」と言う枕詞があり、これに続く言葉は「初瀬(はつせ)」だそうです。
これも同様に枕詞である「長谷」そのものを「はつせ」の「つ」が抜け落ちて「はせ」と読むようになったそうです。
長谷寺を含むこの地域は初瀬と言う地名を持ち長い渓谷に挟まれています。
もうお分かりですね。なぜ長谷寺を「はせでら」と読むのか。
長谷寺(はせでら)の読み方は枕詞から来ていたのですね。
読み方が変わったと言うのもある意味ターニングポイントですよね。
余談ですが初瀬には飛鳥時代より以前に雄略天皇によって営まれた初瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)と呼ばれる宮殿が建立されていたと伝承されています。
最後になりますが前述したご本尊の十一面観音像についてもう一つお話して今回の記事を締めたいと思います。
皆さん「わらしべ長者」をご存知ですよね。
この話はある1人の貧乏な男が観音様に願いをかけるところから始まります。
この観音様こそが長谷寺の観音様です!
そしてこの「わらしべ長者」の話にこそ人生を良い方向へ向かわせるコツが隠されているのです。
ストーリーについての詳細は割愛させて頂きますが一本のわらしべの変化は以下の通りです。
わらしべ→アブが結び付けられたわらしべ→みかん→反物→馬→屋敷
例えば、わらしべとアブは単体で見た場合、価値のあるものではないのですが二つを組み合わせる事で子供の喜ぶおもちゃへと変化しているわけです。
みかんにしたってそれを本当に欲しい人にとってはいらない人と比較した場合の価値の大きさは異なります。
如何ですか?
わらしべ長者の話はターニングポイントを良い方向に向かわせるヒントが隠されていると思いませんか?
長谷寺の参拝の際は観音様の前でわらしべ長者の話を思い出して下さいね(^^)