かつてこの城を含む一帯はとてつもない緊張に包まれたことでしょう。
大垣城(岐阜県大垣市)は関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成が入城し西軍の本拠地として重要な役割を果たしたお城です。
日本人の誰もが知る戦いの舞台となった大垣城ではありますが今は周りを建物に囲まれその全容は市街地のどこからも望む事が出来ないほど控えめにひっそりと佇んでいます。
そんな大垣城に関ヶ原の戦いから35年後の1635年に入城したのが大垣藩初代藩主・戸田氏鉄(とだうじかね)です。
↑戸田氏鉄公像
この戸田氏鉄も控えめな大垣城とシンクロするようにあまり知られてはいません。
しかしその功績は今の大垣の礎を築いたと言えるほど大きなものです。
どのような功績なのでしょうか?
まずは現在の大垣の町を散策してみましょう!
大垣は町中に湧水地が点在し、水門川が縦横に走り抜ける豊かな水に囲まれた町です。そしてそれが町全体に潤いをもたらしています。
↑名水大手いこ井の泉
↑栗屋公園の湧水
↑大垣の湧水
↑水門川
↑住吉灯台と船町湊跡(水門川はかつて大垣城下から桑名(三重県)へ人や物資を運ぶ運河の役割を果たしていました。船町港はその中心地でした)
↑四季の広場
いかがでしたか?
今は水と一体化した現在の大垣の町ですが、かつてこの地域は河川が複雑に入り組む洪水の多発地帯でした。
戸田氏鉄が藩主となった頃の大垣は水との闘いに明け暮れていた時代だったのです。
現在も市内に15の1級河川が流れている事からも当時の困難さを伺い知ることが出来ます。
洪水が頻発すれば藩の財政は圧迫されます。藩主となった氏鉄は領民安定策として新田開発を奨励し財政の安定化を図ると共に、山の植林と乱伐の抑制、水門の造成などの事業を進め治山治水に力を注ぎました。
その一方で家臣や子孫に対して具体的な行動基準を示した『八道集』を残すなど、文化・教育の振興にも貢献しています。
これら氏鉄によって基礎が固められた戸田氏による大垣藩の治世はその精神が受け継がれ明治に入るまでの235年間続きました。
長く継続させることも明君の能力の一つでしょう。
そしてそれが今も尚続いていると感じさせてくれる一端を大垣を代表する企業に垣間見ることができます。
下記は日経金融機関ランキング調査(2015年1月発表)の顧客満足度ランキングです。
1位:ソニー銀行
2位:イオン銀行
3位:住信SBIネット銀行
4位:大垣共立銀行
大垣共立銀行が4位に輝いていますね。
↑大垣共立銀行本店
大垣共立銀行は一地方銀行にも関わらず三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行といった3メガバンクを抑えての4位なのです。
すごいですね!
注目すべきは大垣共立銀行の初代頭取は戸田鋭之助(とだえいのすけ)であり、彼によって設立されたことにあります。
そうです、戸田鋭之助は戸田氏鉄と関係があるのです!
戸田鋭之助は戸田氏ゆかりの士族で大垣藩家老の家柄でありソニー創業者の盛田昭夫の祖父に当たります。鋭之助は旧大垣町の初代町長、大垣商工会議所会頭などを歴任するなど大垣の産業振興に尽力した人物でもあります。
氏鉄の精神が受け注がれていると言えるでしょう!
ちなみに鋭之助の旧邸から移築した門塀は大垣城近くの大垣市郷土館に移築され今もなお活躍しているので大垣城へ訪れる際は是非寄ってみて下さい。
↑大垣市郷土館
水によって苦しめられた大垣は氏鉄の治水事業に始まり、現在は水との共存共栄を見事に実現した水の都へと変貌しました。
大垣に訪れる機会に恵まれた方は大垣城と水に囲まれた町を散策して楽しんで下さい!