意外性に富んだ五箇山合掌造り集落

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五箇山合掌造り集落

そこには都会の風景と全く正反対の世界が広がっています。

人工の建築物が自然と融合した風景。

急勾配の茅葺の屋根を持つ独特の形をした家が並ぶ集落。

01 五箇山合掌造り集落

五箇山(ごかやま)の合掌造り集落(富山県)です。

訪れた人は誰しもがこの風景に魅了されるのではないでしょうか?

そんな合掌造りの集落に水田の緑が加わったのは意外にも最近の事です。

02 五箇山合掌造り集落

五箇山の合掌造り2大集落のうち相倉集落(あいのくらしゅうらく)で水田耕作が始められたのは1888年(明治21年)と明治の半ば。

もう一つの菅沼集落(すがぬましゅうらく)に至ってはでは1945年(昭和20年)と、まだ100年も経っていません。

五箇山の名前は赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷を意味する「五箇谷間」から転じた事に由来します。

つまり五箇山と言う地名は山が多い事を表現しており実際に標高1800mから900mの山々に囲まれています。

交通機関が発達した現代でこそ容易に足を運ぶ事が出来ますが一昔前は人を寄せ付けない土地だった事を想起させます。

03 五箇山合掌造り集落

その上、水田耕作の始まりが最近の事となると五箇山に人が住み始めたのはそれほど昔の事ではないと思ってしまうのではないでしょうか?

では実際いつから人が住み始めたのでしょうか?

江戸時代?

いえいえ、もっと昔です。

なんと石器時代から縄文時代にかけてです!

五箇山では石器類や土器片が多数発掘されており、土器については縄文時代中期から後期前半にかけてのものが多く出土し遺跡も各所で発見されています。

ところが不思議なことに弥生時代から鎌倉時代までの遺構は確認されておらず史料も残っていないそうです。

縄文時代以降、五箇山の歴史が再び始まるのは木曾義仲(きそよしなか )と平維盛 (たいらのこれもり:平清盛 の孫)が戦った倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい:1183年)で敗者となった平家の残党が五箇山へ逃げ隠れ落人として住み着いたとされる言い伝えからです。

04 五箇山合掌造り集落

しかし、弥生時代から鎌倉時代の空白の時間にいったい何があったのでしょうか?

気になりますね。

五箇山は民謡の宝庫と言われており、発祥や伝播の経緯が定かでないものが数多く存在します。

代表的なものとして「こきりこ節」「といちんさ節」と言ったものがあるのですがこれらに挿入されている囃子詞(はやしことば:歌謡の中や終わりに、調子をとるために入れることば)は何を意味しているのか分からない不可解なものが多く含まれています。

しかし驚くことにこれらの囃子詞をヘブライ語で訳すと理解出来るようなるのです。

ヘブライ語はユダヤ人の母語でありイスラエルの公用語です。

「イスラエルの失われた10支族」をご存知でしょうか?

旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち行方が知られていない10部族を指します。

この失われた10部族の一部が日本に渡って来たと言う説があり、その地の一つが富山県とされているのです。

五箇山からは少し離れていますが富山県には塩谷(しおんたん)という地名が残されています。しおんたんをヘブライ語にすると「シオンの地(イスラエルのエルサレム地方の歴史的地名)」となるそうです。

また、この五箇山の一帯は白山信仰による天台宗系の山岳修験道の場として修験者の往来があり古くから開かれていたと言うことです。そして修験道に着目するとここにもユダヤ人とのつながりが見えて来ます。

修験道者(山伏)とユダヤ教徒の姿には共通点が多く見られることから修験道はユダヤ教から何らかの影響を受けているとされる説が存在するのです。

そうです!もうお気付きですね。

五箇山の歴史の空白の時間はイスラエルの失われた10士族の居住地になっていた可能性があると言うことになるのです。

これが真実かどうかは分かりません。

しかし否定をした時点でその先の可能性を閉ざすことになります。真実が明かされるまでは否定も肯定もせず可能性を残しておいた方が得策ですよね。

05 五箇山合掌造り集落

ミステリーな一面を持つ五箇山ですが他にも意外な表情を持ち合わせています。

以下、列記致します。

◆戦国時代から江戸時代には塩硝(火薬の材料)の製造をしていたと言う歴史を持っています。現在の平和な五箇山の風景からは想像出来ませんね。

◆五箇山では古くからカボチャの事を「ぼべら」と呼んでいるそうです。そしてポルトガル語でカボチャのことをabobora(ボーボラ)と言うそうです。イスラエルだけでなくポルトガルとも何か関連があるかもしれませんね。

◆南京玉すだれのルーツは、「こきりこ節」に使われる道具「こきりこささら」と言われているそうです。もしかしたら「こきりこささら」はユダヤ人が持ってきた道具かも?

いかがですか?

五箇山は意外性に富んだ場所ですね。

06 五箇山合掌造り集落

五箇山の合掌集落は世界遺産に登録されています。富山県にお出かけの際はミステリーに包まれた世界遺産のある五箇山に是非お寄り下さい!

【English WEB】

http://japan-history-travel.net/?p=5805

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