日本の城を美しいものと感じさせてくれる要因を創り出している城の一つ。
現存天守で日本最古。
国宝に指定されている松本城(長野県松本市)は日本人の美意識を高めさせてくれます。
話はかなり飛びますが、例えば会社でいつも怒ってばかりの上司が子供の前では優しい父親になるとか。
普段おとなしい人が車のハンドルを握ると性格が変わるとか。
人は誰しも大小の差はあれども二面性を持ち合わせているのではないでしょうか?
知性溢れるジキル博士が社会的抑圧を解放する薬を飲用すると正反対の人格のハイド氏へと入れ代わってしまう人物像を描いた小説「ジキルとハイド(原題:ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件)」。
この小説は外科医としての顔を持ちながら解剖に必要な死体を調達するための墓荒らしとしての顔も持ち合わせていたスコットランド生まれのジョン・ハンターがモデルとされています。
ジキルとハイドは極端な二面性の持ち主に対し比喩的に使われていますね。
ジキルとハイドに負けず劣らずの二面性を持ち合わせているのが松本城です。
松本城の天守閣は外から見ると5重(5階建て)の構造をしていますが内部は6階構造になっています。3階部が外から存在がわからない「隠し階」になっており戦の際はそこに武士を集めて待機させる目的があったとされているそうです。
そのような構造を持つ松本城は大きな窓もなく代わりに矢や鉄砲を放つために設けられた穴、いわゆる狭間(さま)が115ヶ所も備え付けられています。
↑狭間
また、城の石垣を登ろうとする敵兵に石を落とすための開口部である石落としも各所に設けられています。
↑石垣の上にせり出している部分が石落とし
その他、敵の侵攻を少しでも防ぐために階段は急な傾斜となっているなど松本城はバリバリの戦闘モード態勢の戦う為の城です。
ところでその外観は黒を基調に白と合わせて2色で覆われているのですが一部だけ朱色が使われています。
なぜでしょうか?
これが松本城の二面性に大きく関係しています。
朱色が使用されているのは月見櫓(つきみやぐら)の欄干の部分です。
櫓の本来の用途は防御や見張りなのですが月見櫓は文字通り月見をするための櫓です。
↑向かって左端が月見櫓。朱色の欄干が使用されています。
↑月見櫓内
ちなみに現存する月見櫓があるのは岡山城(岡山市)と松本城だけです。更に言えば天守と一体となった月見櫓を持つ城は松本城が唯一の遺構です。
この貴重性の高い松本城の月見櫓は三代将軍家光を迎えるために増築されたものと言われ、平和な時代に建てられたことから戦の為の仕掛けは一切ありません。
そうです。朱色は戦闘とは対照的に優雅な雰囲気を醸し出すための演出なのです。
もうお分かりですね。
松本城は戦争と平和と言う正反対の二面性を持ち合わせた城なのです。
現在の松本城の原型は松本藩初代藩主・石川数正(いしかわかずまさ)によって文禄年間(1593年から1594年)に構築されたのですが、この石川数正の経歴も二面性を持っていると言えるかもしれません。
石川数正は徳川家康がまだ竹千代(たけちよ)と呼ばれていた幼少の頃から仕えていた側近中の側近だった人物です。
しかし、家康が豊臣秀吉と戦った「小牧・長久手の戰い」(こまき・ながくてのたたかい:1584年)を境に突如家康の下から出奔し秀吉の下へ寝返っています。
その理由は明らかになっていません。
「秀吉の器量に惚れ込んで秀吉に投降した」
「家康と示し合わせ、徳川家の為にあえて秀吉の家臣となることで家康の外交を秀吉の側から助ける役目を果たした」
など様々な説が飛び交っています。
家康と秀吉という性格も思考方法も全く異なる主君に仕えたという二面性の経歴を持つ石川数正が松本城を築城したと言うのは何か意味があるのかもしれませね。
余談ですが石川数正の寝返りに関して独自の考察を基に興味深い展開でストーリーを完結させる小説に南原幹雄氏の「謀将石川数正」があります。
松本城を訪れる方は事前に読んでおくとより面白く松本城を散策出来るかもしれませんね。
誰しもが持ち合わせているであろう二面性も上手く使いこなせば松本城のように均整のとれた美しい形となって現れるかもしれません。
松本城に訪問した際は均整のとれた二面性の重要性を学びましょう!
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