黒塗りの下見板に覆われた風格はある種の清々しさを感じます。
岡山城(岡山市)はその姿から別名を烏城(うじょう)とも呼ばれ、築城主は豊臣政権下で五大老の1人として抜擢された宇喜多秀家(うきたひでいえ)です。
秀家は8年の歳月を費やして築城するも3年後の関ヶ原の合戦で西軍の主力として参戦した為に八丈島へ配流されてしまいます。
ちなみに宇喜多秀家が八丈島への公式な流人第1号とのこと。嬉しくない第一号ですね(ToT)
代わって城主となったのが東軍に寝返り徳川家康に勝利をもたらす機会を与えた小早川秀秋(こばやかわひであき)です。
戦国時代の浮き沈みの厳しさを岡山城を通して垣間見る事ができますね。
このような岡山城ですが平和な江戸時代にはその象徴とも言えるような庭園が城の北側に流れる旭川沿いに造られます。日本三名園の一つとされる後楽園(こうらくえん)です。
↑岡山城と旭川
↑後楽園
さて、後楽園は有名ですがもう一つ平和の象徴とも言えるような建物が岡山城内にあります。
月見櫓(つきみやぐら)です。
櫓は城郭内に防御や物見のために建てられた建築物ですが月見櫓は文字通り月見をする目的で建てられた櫓です。
月見櫓は他のお城にも存在するため珍しいものではありませんが、ここで強調しておきたいことは現存する月見櫓があるのは松本城(松本市)と岡山城だけです!
↑月見櫓
一面黒塗りの天守閣の勇壮さに比べて地味な見栄えで城内の片隅にひっそりと建っているため岡山城へ足を運んだ際は忘れずに見学して下さいね(^^)
↑月見櫓と内掘
話は変わりますが岡山は瀬戸内海の温暖な気候によって育まれたマスカットや桃などの高級フルーツの産地です。特に白桃においては岡山で発見されたそうです。
そして偶然にも岡山には桃太郎の伝説が残っています。
そこで、流石に岡山城に桃との関係はないだろうと思って調べたところ桃が出て来ました!
留蓋瓦(とめぶたがわら)と呼ばれる瓦があります。この瓦の本来の役目は雨漏り防止ということですが魔除けの意味も含まれているそうです。
そしてその形には獅子、菊、牡丹などの動植物が装飾されることが多いようですが、なんと!岡山城の留蓋瓦には桃の装飾が採用されています。但し桃太郎伝説とは関係ないとのこと。
天守閣の上階から屋根を見ると所々に見ることができるそうです(残念ながらこの存在は岡山城へ行った後に調べて分かったので写真には収めていません)。これから行かれる方は桃の装飾がされた留蓋瓦も忘れずに見ておいて下さいね♪
↑留蓋瓦の代わりに金の鯱の写真を添付させて頂きます。
■岡山の観光に大きく寄与している桃太郎伝説。
■岡山で発見された白桃。
■岡山のシンボル的存在の岡山城天守閣にある桃の形をした留蓋瓦。
これはもう偶然ではなく必然ですね。桃は岡山にとってなくてはならない必要ものになっています。
偶然もそれが重なれば必然ということなのでしょう。
皆さんも身の回りに起きている偶然を集めてみたらそれが自分にとって必要なものと認識することができるかもしれませんね(^^)
岡山城に行って桃から偶然の必要性を学びましょう!