狛犬の代わりに狐が出迎えてくれるのはお稲荷様ならではの光景ですね。
更に境内の奥に行けば圧巻!
所狭しと石の狐が祀られています。
豊川稲荷(とよかわいなり:愛知県豊川市)は狐に囲まれた聖地です。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は食物・穀物の神様である豊受大御神(とようけのおおみかみ)へ全国に稲穂を広める事を命じました。その配布役に抜擢されたのが狐です。
↑狐(全くの余談ですがこの写真は私がイギリスで生活していた時に自宅の庭に迷い込んで来た野生の狐を撮影したものです。住んでいたのは普通の住宅街です。イギリスは自然の豊かな所なんだと驚いた次第です。)
稲荷とは文字通り稲を荷うという意味から来ています。
つまりお稲荷様は日本固有の神道に由来する神社という事になります。
ところが豊川稲荷の正式名称は「円福山豊川閣妙厳寺(えんぷくざんとよかわかくみょうごんじ)」。神社ではなくお寺なんですね〜
確かに本堂の造りを見ればお寺だと分かります。
ではなぜ狐が祀られるお寺となったのでしょうか?
豊川稲荷の縁起を覗けばその理由を知る事が出来ます。
鎌倉時代、宋代の中国に渡り仏教を探求した僧・寒巌 義尹(かんがんぎいん)は日本への帰国の船の中で稲束を荷う白狐に跨って真言を唱える吒枳尼天(だきにてん)に遭遇しました。これがきっかけとなり帰国後に自ら吒枳尼天の像を彫り尊崇するようになったそうです。
時代は流れ室町時代。。。。。
寒巌の6代目の弟子である東海義易(とうかいぎえき)が妙厳寺を創建しました。その際に寒巌作の吒枳尼天像を鎮守として祀ったと云われています。
吒枳尼天はインドの仏教に由来する神様ダーキニーを起源とし、一般的に白狐に跨った姿で表現されます。
この白狐が日本に古くからある神道の稲荷神を祀る信仰と融合したんですね。
これで豊川稲荷がお寺であり、同時に狐が祀られている理由がお分かり頂けたのではないでしょうか。
ところで稲荷と聞いて真っ先に思い浮かべる食べのもと言えば稲荷寿司ではないでしょうか?
稲荷寿司発祥の地は江戸(東京)、名古屋など諸説あるようですが豊川稲荷も稲荷寿司発祥の地の一つとされています!
↑稲荷寿司
稲荷寿司と言えば油揚げ。油揚げは狐の好物とされていますね。
豊川稲荷発祥説においては豊川稲荷の門前町で天保の大飢饉の頃に考え出されたと伝えられています。
↑門前町
もしかしたらお供え物の油揚げを利用したのかも(^^;
これは冗談として狐の好物が油揚げとされる理由は吒枳尼天に関係があるようです。
吒枳尼天の由来となったインドのダーキニーを奉ずる修行者たちは栄養食として珍重されたネズミのフライをお供え物として出していたそうです。しかしダーキニーが殺生を禁じる仏教に取り入れられた頃から大豆で出来た油揚げを代用するようになったとか。
この事から「狐に跨る吒枳尼天のお供え物=油揚げ→狐の好物=油揚げ」となったと言う事です。
ちなみにインドには狐は生息していないそうです。
では、吒枳尼天=ダーキニーが乗っていた動物って何なんでしょうか?
答えはジャッカルです。
↑ジャッカル(フリー写真サイトからダウンロード)
仏教が中国に伝わった時にジャッカルのいない中国では狐と混同され、それが日本へ伝わって来たと言う事です。
と言う事は豊川稲荷の狐の像は狐ではなくて全てジャッカルという事???(^^)
それはさておき油揚げが狐の好物の由来となったのは豊川稲荷の祭神の吒枳尼天に端を発していますし、今では「おきつねあげ」と呼ばれる新しいご当地グルメも生まれています。
そもそも稲荷寿司と言う名前からして豊川稲荷に発祥の地の軍配を上げても良いのではないでしょうか。
↑おきつねあげ
豊川稲荷はお寺なのに鳥居が据えられ仏教と神道が融合したようなお寺です。稲荷寿司も油揚げとご飯との融合により新しい味を生み出しています。一見すると合わないように見えるものを融合させて新しいものを創り出すのは日本人の得意とするところですね。
豊川稲荷で参拝したら稲荷寿司を食べて融合によって新しい物を生み出す能力に磨きをかけましょう!
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