原爆ドームから日本人が学び得るもの

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原爆ドーム

何も語る事のない廃墟。

しかしここを訪れた全ての人は何らかのメッセージをこの廃墟から受け取るだろう。

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。。。。。時は止まり全ては破壊された。

01 広島平和記念資料館

02 広島平和記念資料館↑広島平和記念資料館の展示ボードより

広島の様々な物産を陳列する事を目的として1915年(大正4年)8月5日に広島県物産陳列館は開館した。その30年後の事である。

広島県物産陳列館は廃墟となりドーム状の鉄枠が残った。いつしか広島市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。

03 原爆ドーム

原爆投下は広島市のほぼ中央に位置する原爆ドーム横を流れる川に架かるT字形の相生橋(あいおいばし)が目標点とされた。

04 相生橋

実際には原爆ドームから150mほど離れた島病院の上空600mのところで炸裂したことが判明されている。

なぜ広島が原爆投下の標的となったのか?

以下、その理由を記してみた。

◆原爆の効果を正確に測定できる直径3マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市であった。

◆候補に挙げられた都市の中で唯一連合国軍の捕虜収容所がないと思われていた。

◆当時、日本の主要都市の中で空襲による決定的な被害を受けていなかった。

◆広島には軍事施設が集中していた。

そして1945年8月6日の広島の天気は晴れだった。

物事の決定は多くの指標や条件から判断され下される。広島は世界史上最悪の事態を迎えるための指標と条件を揃えてしまったのだ。

原爆もある条件が整うと莫大なエネルギーを生み出し炸裂する。

E=mc2

物質の消失は巨大なエネルギーを生み出す。

アインシュタインの相対性理論である。

原爆が生み出されるきっかけになったと言われる。

そのアインシュタインは第二次世界大戦(1939年〜1945年)の始まる17年前の1922年に日本を訪れた際に以下の言葉を残している。

 

近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。

その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。

果たせるかなこの国の歴史がそれである。

この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、

それこそ今日の日本をあらしめたのである。

私はいつもこの広い世界のどこかに、

一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。

なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、

最後には闘争に疲れる時が来るだろう。

このとき人類は必ず真の平和を求めて

世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。

その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、

あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。

世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。

それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。

我々は神に感謝する。

神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。

 

日本を高く評価したアインシュタインであるがその後彼の相対性理論がきっかけとなり日本に原爆が投下されてしまった。

なぜこのような皮肉めいた方向に進んでしまったのだろうか?

その答えは現代にあるのかもしれない。

近年、世の中は目まぐるしく変化している。世界の紛争は絶える事なく続いている。

その中で翻弄し続ける日本。

このような時代だからこそ改めて実戦で原爆が投下された世界で唯一の国に生まれた私達日本人がアインシュタインの言葉の意味を理解しなければならないと言うことではないだろうか?

広島平和記念資料館を見学すると平和な日本で暮らしている事のありがたさを実感出来る事は間違いない。

05 広島平和記念資料館 ↑広島平和記念資料館

マネー戦争の中で経済が低迷し続ける日本ではあるが金が全てではないと言う事も改めて実感出来るだろう。

06 為替チャート ↑フリー写真サイトよりダウンロード

広島平和記念公園に足を運ぶ機会があればアインシュタインの言うところの武力や金の力に寄るところのない平和な世の中が来るように祈りを捧げて頂きたい。

07 原爆死没者慰霊碑

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