色彩による刺激は時に私たちの脳に感情の変化を生み出す。
例えば落ち込んだ時に見る明るい色合いは気分を引き立ててくれるであろう。
小片を寄せ合わせて埋め込み、絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法をモザイクと呼ぶ。
この時の色の組み合わせは私達の感性でいかようにも構成させる事ができる。
それを実現させてくれるものの一つがタイルだ。
特に表面積が50平方センチメートル以下の小型の磁器質タイルの事をモザイクタイルと言う。
↑モザイクタイル
岐阜県多治見市(たじみし)はそのモザイクタイル発祥の地であり、全国一の生産量を誇っている。
日本にタイルが使われ始めたのはいつ頃だろうか?
文献に登場するのは「日本書記」が初めてのようだ。
飛鳥時代に仏教伝来と共に寺院の装飾用として導入された中国のタイルの原型「塼(せん)」(レンガの一種)が始まりとされている。
しかし、本格的にタイルが普及するのは明治維新により多くの西洋文化が入り込んで来てからだ。
多治見でタイル生産が始まったのは大正時代のことである。タイルと言う名称が使われ出したのも大正になってからである。
多治見はこの地方に1300年程前から伝わる「美濃焼(みのやき)」の産地である。多治見でタイルが生産されるようになったのはこのような下地があったからに他ならない。
昭和初期には全国に先駆けて磁器質施釉モザイクタイルを誕生させた。
戦後の復興期に当たる1950年代には好景気、建築ブームに支えられ国内屈指のタイル生産地へと発展して行く事となる。
そして今も日本一のタイル生産量を維持している。
さて、このような歴史を辿って来た多治見のモザイクタイルを楽しむ事の出来る場所がある。
モザイクタイルミュージアムだ。
その斬新なデザインは入る前から気持ちを高揚させてくれる。
メルヘンチックな入り口の向こう側はモザイクタイルの宝庫だ。
館内には1995年頃から町の有志によって20年近くかけて収集された貴重なコレクションが収蔵されている。
モザイクタイルミュージアムのホームページには以下のように記載されている。
「必ずしも著名な建築物に施工されるわけではないモザイクタイルは、多くの場合、老朽化した建築物と運命を共にし、廃棄されていきます。そんな中、自分たちの仕事に誇りと愛着をもつ地元有志は、建物の解体の情報を聞きつけてはタイルを譲り受け、あるいは閉鎖される工場からタイルのサンプルを引き取るといった収集を続けてきました」
廃棄物や一見価値の無いような物でも、その志や考え方により人を惹きつける魅力的な物になりうると言う事だ。
それはミュージアムの展示物を見れば一目瞭然である。
それでは館内の様子を見て頂こう。
先程書いた内容に納得して頂けたのでは無いだろうか。
一通り館内を周った後は体験工房でモザイクタイルを使った工作を楽しむ事が出来る。自分だけのオリジナルを作製出来るのも魅力の一つだ。
ところで多治見は「日本一暑い町」として名乗りを上げている。
2007年8月16日14時20分。日本国内の最高気温記録(当時)となる40.9℃を日本で最初に観測。2006年には37℃以上を記録した日数が日本で最多となっている。
これはマイナス面でもある。
しかし、このような環境が多治見のタイル造りの更なる発展に一役買っている。
それは二酸化炭素の削減や高気温対策となる保水性タイル、壁面緑化に適したタイル、太陽熱反射タイルの開発・製造を促すことに繋がっているからである。
長い歴史の中で培われて来た多治見のタイル造りは変化を繰り返しながらアートと実用の両面から今後も業界を引っ張って行く事になるであろう。
多治見に訪れる機会に恵まれた方は是非タイル造りにも目を向けて頂きたい。