様々な起点を持つ日本橋

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街の風景の移り変わり。

人々の出会いや別れ。

歴史的な事件。

日本橋は時勢の流れの中で多くの出来事を見続けて来た事でしょう。

↑日本橋

「橋」の語源を調べると

『橋とは、川や谷、湖、道路などの上に掛け渡して通路などに用いる構築物。「端」の意味から「間(あいだ)」の意味を持ち、両岸の間(はし)に渡すもの、離れた端と端を結ぶものの意味から、この構築物も「はし」と言うようになった。離れたところにかけ渡すと言う意味では、「はしご」や「きざはし」などの「はし」、食べ物を挟む「箸」も同源である』(「語源由来辞典」http://gogen-allguide.com/ より)

とあります。

であるならば日本を代表する日本橋は江戸時代の始まりとしての「端(起点)」と言えます。

徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)で勝利し、1603年に征夷大将軍の地位を得ると江戸幕府を創設すると共に、その支配を全国に行き渡らせる為に道路整備を行いました。

それが2代目将軍・秀忠の代に基幹街道に定められた五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)です。

その五街道の起点となる場所が家康の命によって造られた日本橋です。

↑日本橋

橋の語源が端(起点)から来ているとするなら、江戸幕府の創設と同じ年に掛けられたこの橋はその語源を忠実に従っていると言えそうですね。

ちなみに日本橋と言う名の由来には確固たる定説はないとの事ですが、かつてここに二本の丸太を架け、仮設橋としていた事から「にほんばし」と呼ばれるようになったと言う説があるようです。

もしこれが事実なら、日本を代表する橋の名前は親父ギャクによって付けられた事になりますね(^^;

さて、日本橋を起点とするホットな話題として最近(2018913日)開場した豊洲市場があります。

江戸時代初期に日本橋の下を流れる日本橋川沿いには幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。

↑日本橋川

ここで開かれた魚市は江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ御膳御肴の残りを売り出した事が始まりとの事です。

江戸時代に魚河岸の中心的な存在となった日本橋の魚河岸は明治・大正へと続き関東大震災後に築地へ移り、そして現在の豊洲市場へと至っています。

↑日本橋魚市場発祥の地

話は変わりますが、日本橋は20回(19回という説も)架け替えられているそうです。その内の10回が火災による焼失との事です。

木製だった事に起因していると容易に想像出来ますが1911年(明治44年)に石造二連アーチ橋が架けられて以降は東京大空襲にも耐え今に至っています。

さて、現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」と言うものが設置されています。

道路元標(どうろげんぴょう)は道路の起終点を示す標識ですが「東京市道路元標」は東京都電本通線の架線柱としても使用されていたそうです。

1972年(昭和47年)、都電が廃止されると道路改修に伴い「東京市道路元標」撤去され、東京市道路元標があった場所には、50cm四方の日本国道路元標が埋め込まれました。ちなみにその文字は佐藤栄作の揮毫(きごう:毛筆で何か言葉や文章を書くこと)によるものです。

撤去された東京市道路元標は日本橋の袂に移され現在も橋を渡る人々を見守っています。またその傍には橋に埋め込まれた日本国道路元標の複製を見る事が出来ます。

↑東京市道路元標

↑日本道路元標複製

ところで、揮毫といえば「日本橋」の揮毫も、ある歴史上の有名な人物によるものです。

誰だと思いますか?

徳川慶喜です。

当時の東京市長だった尾崎行雄の

「江戸から東京へ戦火を交えず無血開城できたのはひとえに屈辱に耐え、負けを認めて恭順姿勢を貫いた慶喜公のおかげである。いわば東京の一番の恩人にこそ揮毫願うべきである」

との意志により慶喜の揮毫が採用されたそうです。

↑徳川慶喜の揮毫

徳川家康が江戸幕府を開いた年に架けられた日本橋は最後の将軍・徳川慶喜の揮毫が刻まれた日本橋へと生まれ変わりました。

これは江戸時代に終止符を打つと共に新しい時代への起点として生まれ変わったと言えるかもしれません。

日本橋の欄干には麒麟の像が置かれています。通常、麒麟には翼はありません。しかし日本橋の麒麟には翼があります。

↑麒麟の像

なぜなのでしょう?

それは、日本橋が日本の道路網の起点であり、そこから日本中に飛び立てるように、との意味が込められているからだそうです。

現在の日本橋は国道1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号の起点であり、更には日本橋に埋められた日本国道路元標の真上を通る首都高速がアジアハイウェイの起点となっています。

アジアハイウエイとは国際連合アジア太平洋経済社会委員会によって運営されるアジア32カ国を横断しトルコへ至る全長14.1万kmの高速道路をさします。

↑日本橋の真上を走る首都高速(アジアハイウェイの起点)

日本橋の麒麟に託された思いは達成されたと言えるでしょう。

私たちが普段何気なく使用しているものの中で、もしそれが無くなると経済活動に甚大なる影響を及ぼすものの一つが「橋」ではないでしょうか。

橋と同じように普段気づかないだけで大活躍している人は皆さんの周りにも多くいるはずです。

日本橋はそのような事を気づかせてくれる橋と言えそうですね。

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