ダイナミックで非現実的な空間が高揚感をコントロールする神経を刺激します!
その空間とは勝山市にある日本最大規模を誇る福井県立恐竜博物館です。建物の前で迎えてくれる巨大な恐竜のオブジェはまるでジュラシックパークへ向かう気分にさせてくれます。入り口から一直線に伸びる長いエスカレーターで一気に地下1階へ。恐竜の生息した年代へと向かうタイムトンネルを想像させるダイノストリート。↑ダイノストリート
その通路の先にあるのはカマラサウルスの産状化石(産出した状態の化石)。↑カラマサウルスノの産状化石
そして1階への階段を昇ると。。。
ど迫力の動くティラノサウルスが!
このティラノサウルスに怖がって入れなくなる子ども多数出ているとか(^^)
さて、日本史の中に恐竜は登場するのでしょうか?
世界史的にみて恐竜が学術的な記録として現れるのは1677年、イギリス、オックスフォード大学のアシュモリアン博物館の大腿骨の膝関節部分の記載が最初と言われているようです。
人類の起源は550万年前ないし600万年前と言われていますから恐竜が認識されたのはごくごく最近の事ですね。
これに対して恐竜が生息していた時期は約2億5217万年前から約6600万年前の中生代です。このように恐竜の生息時期は人類の歴史が始まった時期ととてつもなく開きがある事に加え日本で恐竜の化石が発見されたのは1978年に岩手県で発見されたのが初めてとの事ですから恐竜と日本史とは全く無縁の時代的位置関係にあります。ところが一概にもそうとは言い切れないのです。
それが竜骨と呼ばれる生薬の一種にあります。
竜骨は大型の哺乳類の骨の化石のことを指し医薬品として日本薬局方に掲載されているれっきとした薬です。
その効用には精神を落ち着かせる作用(安神作用)や汗・失禁・遺精などの体液漏出を止める作用などがあり、柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)、桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)などの漢方薬に牡蠣(ボレイ:カキの貝がら)とともに配合されています。
この竜骨が奈良の正倉院に保管されているのです。
正倉院の竜骨は756年、聖武(しょうむ)天皇崩御の七七忌に孝謙(こうけん)天皇・光明(こうみょう)皇后が東大寺盧舎那仏(とうだいじるしゃなぶつ:奈良の大仏)に献上したものです。
正倉院に現存する「種々薬帳」と呼ばれる献物帳には竜骨や五色竜骨、竜角、竜歯をそれぞれ納めたという記載があります。
ではこれらはどこから来たのか?と言う事になりますが遣唐使として在留していた日本人が持ち帰って来たもののようです。
中国では竜骨を「死んだ竜の骨である」としていたと言う事ですので日本でも同じように考えていたと推測できます。
恐竜の存在を認識していたかどうかは別として、その正体が何だったのかは疑問に思っていた事でしょう。
実際に江戸時代に入り本草学(現在の博物学)が盛んになった頃には竜骨を巡り学問のマルチプレイヤーだった平賀源内も加わる大きな論争が行われたそうです。
さて、正倉院の竜骨の正体ですが山西省・河南省から出土したシカの角・骨・歯の化石などであったことが判明しているようです。
「なんだ、結局恐竜の化石ではないのかー」と思うかもしれませんが少しお待ち下さい。
現在、日本で流通する竜骨は全て中国からの輸入品だそうですが竜骨の産地とされる地域の中に古生物研究者が恐竜の化石を発掘した地点が複数含まれているそうです。
実際に河南省汝陽県で採掘された竜骨は数年前に質専門家の調査によって実は恐竜の化石であることが分かっています。
つまり、正倉院の竜骨の正体ははっきりしているものの現在も含め古くから流通して来た竜骨には恐竜の化石が含まれている可能性があると言う事になるのです。
そう考えると恐竜は日本史の中に登場していると言う事になりますね。
一見すると全く関係なもの同士もどこかでつながっている。世の中の構造はそのように出来ているのではないのでしょうか?
福井県はそんな事を教えてくれる恐竜の化石の日本一の産出地です。なんと国内で発掘された恐竜の化石の約8割が福井県内で見つかっているそうです。
そんな事もあり「フクイ」の名のついた恐竜もいます。↑フクイサウルス・テトリエンシス↑フクイラプトル・キタダニエンシス↑フクイベナートル・パラドクサス
福井県立恐竜博物館は恐竜をテーマにした博物館として中国の自貢恐竜博物館、カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館と並び世界三大恐竜博物館の1つに数えられています。福井県立恐竜博物館で恐竜の時代へタイムトラベルしましょう!