ミキモト真珠島は日本の養殖真珠につての学びの場

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濃厚な翡翠色の海に架かる橋を渡るとそこは真珠の王国!

ミキモト真珠島 (三重県鳥羽市)です。

真珠博物館に展示される美しい真珠の数々。

海女の実演も観覧する事が出来ます。

島内に祀られている神社の名前は「珠の宮(たまのみや)」。

真珠づくしの島ですね。

かつて天然の真珠は限られた富裕層の人しか容易に手にする事は出来ませんでした。

それを覆したのが日本の養殖真珠です。

1893年(明治26年)、動物学者であり理学博士だった箕作佳吉(みつくりかきち)の指導により御木本幸吉(みきもとこうきち)が真珠の養殖を成功させました。↑御木本幸吉の像(ミキモト真珠島)

↑御木本幸吉記念館(ミキモト真珠島)

かつて相島 (おじま)と呼ばれていたミキモト真珠島で養殖に成功した事からここが養殖真珠発祥の地とされています。↑「養殖真珠第一号ここに生る」の碑(ミキモト真珠島)

幸吉が成功させた真珠の養殖は半円真珠だったそうですが、その後真円真珠の養殖も確立されました。

真円真珠養殖の最初の成功者に関しては曖昧なところがある為ここでは割愛させて頂きますがいずれにしても幸吉の真珠養殖が先駆けとなり日本の養殖真珠が世界の市場を席巻していく事になります。↑ミキモト真珠島_真珠博物館展示品

日本の真円養殖真珠が本格的に輸出されるようになった1920年代、ヨーロッパで養殖真珠はニセモノ真珠として物議を醸し、天然真珠を扱う宝石業者等は排斥運動を起こしました。しかし、その勢いは止められず真珠価格の暴落を引き起こすにまで至ります。

第二次世界大戦後に敗戦国となった日本は世界に向けて輸出出来る工業製品が無かった為、養殖真珠を輸出製品の主力とし外貨を獲得して行きました。

最終的にはティファニーやカルティエも養殖真珠を扱うようになり日本の養殖真珠はその地位を築いたのです。

例えニセモノでも本物を凌ぐものであればそれが本物になると言う事ではないでしょうか?

現在、日本の輸出主力製品は自動車や家電製品に取って代わられましたが真珠は永遠に日本の輸出品の王者と言えるかもしれません。

それは真珠が日本最古の輸出品だからです。

日本人なら誰もが耳にした事のある魏志倭人伝(ぎしわじんでん)。

魏志倭人伝は中国の3世紀末に陳寿(ちんじゅ)によって書かれた歴史書「三国志」の最終巻に当たる第30巻「魏書」に記載されている烏丸鮮卑東夷伝(うがんぜんびとういでん)の中の「倭人」に関する記述の事です。

ここに日本の真珠についての記載があるのです。↑魏志倭人伝版本(ミキモト真珠島_真珠博物館)

ところで真珠と言えば「豚に真珠」と言うことわざが有名ですね。

「いくら良いものを与えても、その価値が分からない者にとっては何の意味もない」と言う意味ですが「分不相応」「似合っていない」といったニュアンスで用いられることが多いことわざです。

かつて世界を席巻した日本の養殖真珠ですがある事情によりその勢いが止まった時期があるそうです。

真珠が似合う服装は一般的にはシックなドレスと言えるでしょう。

ところが1960年代に世界的にミニスカートが大流行しました。これにより真珠の売れ行きが落ち込んだそうです。

ポップなファッションに真珠は似合わないと言うわけです。

「豚に真珠」を真珠自体が身をもって呈したと言ったところですね(^^)

当時発行された新聞には「スカートよ長くなれ、長くなれ」と記載されているとの事。

ほとんどの男性にとってはその限りでは無かったと思いますが(^^;

例え時代の先端を走っていたとしても時代にそぐわないと判断されたら一気に情勢は変わると言う事例ですね。

しかい、最近シックなドレス姿でなくとも真珠のアクセサリーを身につけている人がいます。

大活躍中のテニスプレイヤー大坂なおみ選手です。大阪選手はよく真珠のアクセサリーを身につけて試合に臨んでいますね。

これに便乗して真珠のアピールをしたらファッションに関係なく売れるかもしれませんね。

今後の真珠の活躍を見守りましょう!

↓真珠の歴史を更に知りたい方はこの本がお勧めです。

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