沼津港深海水族館で扱われる深海魚について日本人はいつ頃から接触していたのでしょうか?

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沼津港に立ち並ぶ魚屋さん、お寿司屋さんのカラフルな看板や軒先に並べられた干物を見ていると何だか楽しくウキウキした気分になって来ますね。↑沼津港↑魚屋さん、寿司屋さんが並ぶ通り↑店頭に並べられた干物

水揚げされた新鮮な魚介類を食べればその気分は頂点に達します!↑地魚海鮮丼

そんな魚介類の料理に混じって少し変わった食べ物があります。

深海魚バーガーです!深海魚と言えばグロテクスな容姿を持つ魚と言うイメージがありますよね。なぜ敢えてそんな魚のハンバーガーを販売しているのでしょうか?

その理由は沼津港の前に広がる駿河湾に起因しています。

駿河湾は最深部が2,500mに達する日本の湾の中で一番深い湾なのです!

そして沼津港には深海生物をテーマにした世界初の水族館「沼津港深海水族館」で深海魚について学ぶ事が出来ます!それでは深海の世界を探索してみましょう。

 

最後にもう1つ。

実は沼津港深海水族館は世界初の「シーラカンス・ミュージアム」でもあり、冷凍保存された本物のシーラカンスも見る事が出来ます!

↑冷凍保存されたシーラカンス

ところで昔の人は深海魚の存在を認識していたのでしょうか?

調べてみると江戸時代の多くの文献には深海魚が登場しています。

例えば紀州藩(現和歌山県)の本草学者(本草学=中国で発達した疾病治療に使用する薬物(動植物,鉱物)を研究する学問)、小原桃洞(おはらどうとう)や畔田翠山(くろだすいざん)が記した文献には深海魚のスケッチが見られます。

あるいは深海魚の一種リュウグウノツカイ(竜宮の遣い)は各地の文献にそのスケッチが残されており細長い胴体、紅色のヒレなどの特徴をよく捉えています。

この事からなのでしょう、日本における人魚伝説の多くはこのリュウグウノツカイが基になっていると言われています。

江戸時代の浮世草子の作者である井原西鶴(いはらさいかく)の著書「命とらるる人魚の」の中に「かしら、くれなゐの鶏冠ありて」と言う文言が書かれているそうですが、リュウグウノツカイは頭に赤いとさかのようなものが付いているのでリュウグウノツカイとの事と解釈出来ますね。

また、古いものでは鎌倉時代の「古今著聞集(ここんちょもんじゅう)」にリュウグウノツカイと思われる描写があるそうです。

さて、話はそれますが他人の作品の構成や文体の特徴をまね、滑稽さを増すなど操作し、もとの作品をからかうことをパロディと言いますね。

深海魚は最近の言葉で言えばキモかわいいと言った表現にも置き換える事が出来ます。つまり私たちが一般的に目にする魚をパロディとして表現したものが深海魚と言えるかもしれません。

室町時代の文献に「精進魚類物語(ショウジンギョルイモノガタリ)」と言うものがあるのですが、この文献は野菜や納豆を精進側、鳥や魚を肉類側に見立てて平家物語をパロディとして描いたものです。

その中に「あむかう(アンコウ)の彌太郎」と言う人物(魚物?)が登場するのですがこれがアンコウが文献に顔を出す最初のものだそうです。↑沼津港深海水族館のホンフサアンコウ

こうしてみると日本人は鎌倉時代・室町時代には既に深海魚に接していた事になりますね。

但し、深海魚は海岸に漂着したり、漁網にかかったりしたもののようですから昔の人はこれらの魚が深海に生息している魚とは知っていたのかは疑問ですけど。

現時点では解明されていな謎や事象も未来には解明されているかもしれません。深海魚しかり、昔の日本人が様々な事に興味を持って接して来た事が現在の日本を造り上げて来たと言えます。

沼津港深海水族館も構想が出た当初はグロテスクな深海魚をわざわざ見に来る人がいるのか?と疑問の声も出ていたようです。しかし、いざ蓋を開けてみると沼津港の大人気のスポットとなりました。

人が見向きもしない物に興味をもつ事が成功への近道と言えるかもしれませんね。

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