秋葉山本宮秋葉神社で学ぶ「火」の扱い方

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通称南アルプスと呼ばれる赤石山脈(あかいしさんみゃく)。

その赤石山脈の南端に標高866mの秋葉山(あきはさん:静岡県浜松市天竜区)はある。

平安中期この山へ三尺坊という名の修験者(しゅげんじゃ)がやって来て修験道(しゅげんどう)の霊場となった。

古(いにしえ)より神体山として仰がれて来た秋葉山に修験道が入る事により霊山として発展して行った。

江戸時代、木造建築が主流の江戸の町は度重なる大火に見舞われた。

かつて秋葉山へ修験道を持ち込んだ三尺坊は火防に長けた修験者だったと言う事から秋葉山は「火防(ひぶせ)の神」として日本全国で爆発的に流行る秋葉信仰の拠点となった。

秋葉山山頂には秋葉大権現(あきばだいごんげん)が祀られる秋葉権現社(あきはごんげんのやしろ)と観世音菩薩を祀る秋葉寺(しゅうようじ)が建立され神仏混淆の境内となり隆盛を極めたそうだ。

明治時代に入ると神仏分離・廃仏毀釈(しんぶつしゅうごう・はいぶつきしゃく)の波が秋葉山へも押し寄せた。

秋葉大権現が神仏いずれなのか議論されたそうだが最終的に神と判断され秋葉神社へと改称された。

そして現在は全国に1,000社以上あるとされる秋葉神社の総本山・秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)として火の神である火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を祀っている。

↑秋葉山本宮秋葉神社

火之迦具土大神はイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であった為に、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまうと言った内容で神話に登場している。

さて、江戸時代に端を発したとも言える秋葉信仰の火は時を越え江戸の後身である東京で別の信仰の起源となるべく飛び火したと言える。

東京のとある場所で明治初頭から火災が頻発した。これを防ぐ為に火除地(空地)に火災鎮護の祈願所として秋葉神社が建立された。

この場所は秋葉神社が建てられた火除地(空地)と言う事から「秋葉の原」「秋葉っ原」などと呼ばれるようになった。

それが現在の秋葉原の語源である。

この秋葉原は文化の発信地となっている。

その一つとしてAKB48が生まれている。それが派生しNBA48、SKE48から乃木坂46、欅坂46へと広がり彼女たちの熱は日本を覆い尽くしている。

秋葉信仰ならぬAKB信仰とも言えるだろう。

ところで、秋葉山山頂にある秋葉山本宮秋葉神社の境内を上社(かみしゃ)と呼ぶ。↑秋葉山本宮秋葉神社_上社

つまり、上社と呼ぶ以上もう一つ別に下社(しもしゃ)がある事になる。

秋葉神社へと改称された後の1943年(昭和18年)、山麓から発生した火事のもらい火により上社は本殿東側の山門を除く全ての建物を焼失したそうだ。

そこで祭祀を継続させる為に山麓に建てられたのが下社と言う事だ。

火の神の力が強過ぎた故に起こったハプニングかもしれない。

↑秋葉山本宮秋葉神社_下社

秋葉山本宮秋葉神社へ行く機会に恵まれたなら是非、上社・下社の両方に足を運んで頂きたい。

ところで秋葉山本宮秋葉神社には足利尊氏、武田信玄、豊臣秀吉、加藤清正など名だたる武将が刀を奉納している。

これらの武将は秋葉信仰が流行る前の武将であるが、秋葉山に宿っている火の強さを感じたのだろう。

彼らは強力な火のパワーを得たかったに違いない。

戦国武将しかりAKBしかり、火=エネルギーが彼ら、彼女らを躍進させたと言えるだろう。

火は人間にとって無くてはならないものであるが一方で扱い方を間違えばとんでもない事となる。

火に限らずとも同じような事は権力にも言える。

秋葉山から火事」と言うことわざがある。人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまう例えだ。

パワハラ、ブラック企業などが良い例だろう。

権力も扱いを間違えれば身を滅ぼすどころか組織、国さえも滅ぼしてしまう。

秋葉山本宮秋葉神社で火を通して学んで頂きたい事の一つである。

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