島内に見所を満載している江の島。
↑江の島
その江の島の中心的存在である江島神社(えのしまじんじゃ:神奈川県藤沢市)は日本三大弁財天の一つに数えられています。
ところが実際に訪れてみると弁財天は神社本殿には祀られておらずどちらかと言えば隅に追いやられた感がありました。
↑弁財天
本殿に祀られているのは宗像三女神(むなかたさんじょしん)です。
宗像三女神とは昨年(2017年)世界遺産に登録された宗像大社(むなかたたいしゃ)(福岡県宗像市)を総本宮として日本全国各地に祀られている「田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)」「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)」の総称です。
江島神社の場合「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命。「中津宮(へつみや)」に市寸島比賣命。「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命が祀られています。
↑辺津宮
↑中津宮
↑奥津宮
なぜこんな状態になっているのでしょう?
調べてみたら色々と複雑な事情がありました。
と言う事で弁財天の成り立ちが少々複雑な事に加え江島神社の成り立ちがこれまた複雑で調べている途中で訳が分からなくなってしまいました。よってこれから書く内容の大筋は合っていると思いますが推測も入っている為細かいところで間違っているかもしれませんのでその辺のところは大目に見て下さいm(_ _)m
まずは弁財天を語る上で日本の信仰の歴史において知っておいた方が良いと思うので簡単に説明しておきます。
日本には元々土着で信仰されていた神道がありましたが仏教の伝来によりこの二つが混交し一つの信仰体系として再構成(習合)されると言う宗教現象が起きました。いわゆる神仏習合です。
これにより本地垂迹(ほんじすいじゃく)と言う考えが生ました。日本の八百万の神々は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えです。
6世紀半ばに興きたこの宗教観は約1300年続きましたが明治時代に入ると強制的に改められます。1868年(明治元年)明治政府が神道国教化によって国をまとめあげようと神仏習合を禁止したのです。神仏分離です。
さて、弁財天の話に入りましょう。
弁財天はヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名です。
今度はヒンドゥー教が出て来たので簡単に説明すると仏教もインドゥー教もインド土着の神様を取り入れているので元は同じです。日本の神仏習合と同じですね(^^)
以上から日本の弁財天の出どころは仏教となります。
このことから中国にも弁財天は存在するのですが日本の場合、サラスヴァティーに吉祥天(こちらもインドゥー教の女神です)やその他の様々な神の一面を追加したりした為、ハイブリットな弁財天へと変化しています。
良い例が七福神です。弁財天は神様として扱われ「七福神」の一員として宝船にも乗っていますよね。まさに神仏習合です。
続いて江島神社の話へと進みましょう。
弁財天が仏教に属するとなると神社である江島神社がなぜ日本三大弁財天の一つに数えられているのでしょうか?
江島神社の起源は欽明天皇の勅命により552年に島の南側にある岩屋に神様を祀ったことから始まります。
↑岩屋入口
↑岩屋内
↑岩屋_江島神社発祥の地
その約500年後の1182年に源頼朝の祈願により僧の文覚(もんがく)が江の島に弁財天を勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)しています。
これにより神仏習合が行われたのでしょう。
実際に明治に入るまで江島神社は江島弁天、あるいは江島明神(明神は神仏習合における仏教的な神の称号の一つ)と呼ばれていたそうです。
また、かつて江の島には金亀山与願寺(きんきざんよがんじ)と呼ばれるお寺が存在しており江島神社の前身だったそうです。
以上の事から神仏習合により金亀山与願寺が江島弁天あるいは江島明神の別称で呼ばれていたと考えられます。
さて、いよいよ明治になると神仏分離の号令がかかります。
となると元々仏教に属しながら神道色の強い弁財天をどうにかしなければなりません。
ここで冒頭の市寸島比賣命が登場します。
本地垂迹では宗像三女神の一柱(神様は一柱、二柱と数えます)である市寸島比賣命と弁財天を同一視する事が多くあるそうです。
金亀山与願寺の名を江島神社と改めここに市寸島比賣命を祀り弁財天を別に移すと言う方法をとれば上手くまとまります。
そこで境内に奉安殿を造り弁財天を祀ったと言うわけです。
↑奉安殿
神仏分離完了です。
かなり強引にまとめましたが弁財天と江島神社の関係をお判り頂けたでしょうか?
ところで日本三大弁財天ですが残りの二つは竹生島の宝厳寺(滋賀県)と宮島の厳島神社(広島県)なのですがこちらも同じように神仏分離が行われています。
竹生島の宝厳寺では市寸島比賣命を竹生島神社へ移し、宮島の厳島神社では弁財天像が大願寺へと移されています。
宝厳寺は神仏分離に抵抗した為それなりに上手く分離出来ていますが大願寺は完全に隅に追いやれたと言った感じです。
弁財天は神仏習合、神仏分離によって翻弄されて来たと言えますね。
竹生島の記事も宮島の記事も以前書いた事があるのですが弁財天に視点を当てていませんでした。視点の当てどころによって全く異なる記事になるものだなと改めて実感した次第です。
神仏分離は教科書に載っていたので覚えていますが全国で同じような事が起きているのでしょうね。
全国の神社仏閣を廻る際は視点を変えてみると面白い発見に出会える事でしょう。