古代ギリシャは日本に何らかの影響を及ぼしたのか?

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パルテノン神殿

エンタシス(entasis)とは円柱の下部から上部にかけて徐々に細くした、もしくは中部から上部にかけて細くした形状を言う。エンタシスを施した柱を下から見上げると、真っ直ぐに安定して見える錯覚を生むため、巨大建築物の柱に用いることが多い。

エンタシスと言う言葉がどれくらい浸透しているか私は知らない。誰でも知っているのか、それともほとんど知られていないのか。

私の中では確か中学の日本史で習ったように記憶している。その記憶の中では飛鳥時代にシルクロードを経由してギリシャからもたらされた建築構造として頭の片隅に残っている。

奈良の法隆寺に、このエンタシスの構造を使ったとされる回廊がある。シルクロードをつたって大陸から様々な物品が日本にもたられて来たが、こうした建築構造まで伝わって来たのがちょっとした興味として当時の私の頭の片隅に貼り付いたのかもしれない。

ギリシャのパルテノン神殿でエンタシスの柱を見た時、記憶が真っ先によみがえって来た。これが法隆寺の回廊のルーツになった柱か!

およそ、2500年前に建造されたその白く巨大な建造物は見る人を圧倒する。日本の古い建造物は木造が主流である。だからなのかヨーロッパの石造りの建物を見ると日本人は特に感動するのだろう。

さて、この記事を書くに当って改めてエンタシスについて調べてみたところ、法隆寺のエンタシスのルーツはギリシャからもたされたものなかどうかで物議をかもしている事を知った。

その物議とは以下の通りでありる。

『法隆寺の柱はギリシャのエンタシス式の柱とは少し異なる。このエンタシスの柱は建造後に削られて今の形になったと昭和修理の調査調から判明しており、下から見た際、柱がまっすぐに見えるよう錯覚を考慮にいれて今の形にしたと思われる。

また、ギリシャから日本へエンタシス式の柱が伝わってきているならば、その途中の国(ギリシャと日本の間の国)でも見られるはずの柱が見られないことからも、日本の柱は独自の文化で作り出された形状ではないかという説もある』

このような事、いわゆる通説で知られている事が実は間違っているかも知れないといった事は今回に限った事ではなく、あちこちに氾濫していると思う。全部が全部疑っていたら疑心暗鬼になって世の中生きていけなくなってしまうが、興味を持って調べれば面白い発見があるかも知れない。そう思わせてくれた一件だった。

※パルテノン神殿はアテネ市内のアクロポリスにその巨体を堂々と構えている。アクロポリスとは古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のこと。ポリスとは都市、都市国家を指す。

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