現在進行形のヴェネツィアと日本との関わり合い

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街中を無秩序に交錯する幾つもの水路。

01 ヴェネツィアその両側に隙間なく立つ建物。

02 ヴェネツィアおもちゃ箱をひっくり返したようなこの街の雑踏は訪れた人々の心を弾ませる。

03 ヴェネツィアアドリア海の再奥部のラグーナ(海の干潟)に築かれた水の都「ヴェネツィア」である。

04 ヴェネツィア

05 ヴェネツィア

06 ヴェネツィア街の始まりは5世紀頃とされている。

697年には初代総督を選出して独自の共和制統治を始めた。ヴェネツィア共和国の誕生である。

国家としての道を歩み始めたヴェネツィアは10世紀には強力な海運共和国として貿易で栄えた。

以降1797年まで続くがナポレオンの指揮するフランス軍に降伏し約1000年続いたヴェネツィア共和国は消滅した。

共和国としては世界中で最も長く続いたヴェネツィアの歴史の過程で日本が登場する場面がある。

どのような形で登場するのだろうか?

その一つが天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)だ。

1585年、ローマ法王に謁見した天正遣欧少年使節の一行はその帰路の途中でヴェネツィアに寄っている

彼らはサン・マルコ広場で祝典行事に参加したり、ドゥカーレ宮殿で当時のヴェネツィア大統領と謁見したりするなどの時間を費やした。

07 ヴェネツィア_サン・マルコ広場

08 ヴェネツィア_サン・マルコ広場↑サン・マルコ広場

09 ヴェネツィア_ドゥカーレ宮殿↑ドゥカーレ宮殿

使節の乗った船は大小多数の船に囲まれてヴェネツィアの大運河を航行したであろう。

10 ヴェネツィア↑大運河

現在のように予め写真や動画でその景観を見る事の出来ない時代に訪れた使節団の面々は終始圧倒されたに違いない。

ヴェネツィアの街は118もの小島から成り大小様々な橋で繋がっている。

その橋の一つにリアルト橋がある。

11 リアルト橋↑リアルト橋

現在は石造りであるが使節が訪れた頃は木製の橋だったようだ。

この橋にはアレッサンドロ・ヴァリニャーノが大学時代に暴行事件を起こした際の罪状が掲示されたと言う逸話が残されているそうだ。

ヴァリニャーノはイエズス会東インド管区の巡察師であり日本にも訪れ大友宗麟(おおともそうりん)・高山右近(たかやまうこん)・織田信長らと謁見している。

この人物が天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。

天正遣欧少年使節の一行がこの橋を渡ったかどうかは知らないが彼らの欧州行きを計画・実施した人物が暴行事件を起こした事を知っていたとしたならさぞかし幻滅した事だろう。

ところでヴァリニャーノが生きた時代を更に遡る事、約300年。13〜14世紀にかけて日本に影響をもたらしたヴェネツィア共和国出身の人物がいる。

商人であり冒険家だったマルコ・ポーロだ。

彼は日本への渡航実績はないが「東方見聞録」によって日本のことをジパング (Zipangu)の名でヨーロッパに初めて紹介した。

ジパングが日本の英名である「ジャパン(Japan)」の語源である事はあまりにも有名だからここでは深く説明する必要はないであろう。

さて、その長い歴史の中で多少なりとも日本との関わりを持ったヴェネツェアであるが深刻な危機に直面している。

12 ヴェネツィア近年の異常気象の影響で海面が上昇し高潮がヴェネツィアの街を襲っているのだ。それにより年間50回以上も浸水していると言う事だ。

これを解決するために現在「モーゼプロジェクト」と呼ばれる巨大プロジェクトが進行している。

高潮が発生すると普段は海底に収納されている巨大な箱状の板が突き出て堤防となりヴェネツィアの街へ水の侵入を防ぐと言う仕組みだ。

13 ヴェネツィア海底設置型フラップゲート式可動防波堤と呼ばれるこの方式の問題点の一つにフジツボや海藻などの付着がある。

フジツボや海藻が付着するとその重みで堤防が可動しなくなるのだ。

これを解決するのが広島に本社を置く日本の塗料メーカー・中国塗料株式会社が開発した「バイオクリン」という防汚塗料である。

この塗料は銅化合物や有機錫化合物などの重金属や防汚剤を一切使用しない無毒・無公害の防汚塗料であり、更には海底でも塗る事の出来る優れものらしい。

モーゼプロジェクトは現在も進行中であるが一刻も早く日本の企業が開発した塗料が塗られた可動式防波堤で街が守られる事を願いたい。

それがジャパンの名付け親とも言えるヴェネツィアへの多少なりとも恩返しとなるだろう。

日本は資源の乏しい国ではあるが先人たちの努力により色々な開発が行われ技術立国としての黄金の国ジパングへと発展して来た。

日本の技術は様々な国で重要な役割を担っているだろう。

そのDNAを後世へ伝えていく事が現代に生きる日本人の使命ではないだろうか。

未来の人々がヴェネツィアの美しい街並みを見る事が出来きたならば縁の下の力持ちとして日本が活躍していると言えるかもしれない。

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