新居関所(静岡県湖西市)は日本で唯一建物が現存する関所!
天下の剣と呼ばれた箱根山に置かれた箱根関所が山の要衝なら、海に接する浜名湖口に設けられた新居関所は海の要衝だったと言えるでしょう。
現在は浜名湖の埋め立てにより湖口には接していませんが、当時の新居関所は船着き場が隣接し船の出入りが可能だったそうです。現在の新居関所でもその船着き場が復元されています。
ところで、関所の始まりですが、飛鳥時代まで遡ります。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇)らが宮中で蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼしたのが乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)。その後、大化2年(646年)中大兄皇子は体制を刷新して改革を断行しました。これがいわゆる大化の改新です。
この時に発布された改新の詔(かいしんのみことのり:詔=天皇の命令、またはその文章)に「関塞」(せきそこ)を置くことが記されておりこれが関所の始まりとされているようです。
さて、話を新居関所に戻します。
東海道とは別に見付宿(静岡県磐田市)辺りから枝分かれして浜名湖の北側を通り御油宿(愛知県豊川市)に抜ける街道があります(東海道は浜名湖の南側を通るルートです)。この街道は姫街道と呼ばれています。
姫街道の名前の由来の一つに女性が多く利用した為と言うものがあります。なぜ女性が多く利用したのでしょう?
それには諸説あります。
関所では「入り鉄砲と出女」と言われるように厳しい取り締まりが行われていました(女性に対し厳しかった理由は江戸への武器流入や諸大名に対する「人質」として江戸に住まわせた大名の妻たちの脱走を防ぐ為です)。この取締を回避する為、と言うのが一つ目です。
二つ目は新居 – 舞阪間は舟を使用しての移動となる為、女性が渡海を怖がったと言う説です。
そして三つ目は関所の名称に起因していると言うものです。新居関所の正式名称は今切関所(いまきりせきしょ)です。この名称は「今切れ」となり縁起や迷信的な事を信ずる当時の女性には縁が切れる等不吉な言葉へと連想されていたと言う事です。
以上のような理由から関所を回避する為に多くの女性が姫街道へ迂回したと言う事です。
でも女性が多いなら男性も姫街道を選んでしまう気もしますが。こう思うのは私だけでしょうか(^^;
また、縁を切りたい場合は、「今切関所」は良い場所と言う考えも出来ますよね(笑)
こう考えると発想の逆転は大事ですね。
浜名湖周辺は風光明媚な景観が楽しめます。浜名湖へお越しの際は新居関所まで足を運んでみて下さい。
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