星のように輝く五稜郭

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五稜郭

エレベーターから降りると巨大な星が眼前に現れます!

五稜郭タワーの展望台は地上86メートルに位置します。この高さまで来ないとその全貌を把握する事ができません。わざわざタワーの上から見下ろして見るお城は日本でもここだけではないでしょうか。

五稜郭はその形が示す通り、星の輝きの如く幕末から明治維新にかけた動乱期の舞台となった象徴的な場所です!

五稜郭の誕生は嘉永6年(1853年)日本の歴史を大きな波のうねりの中へ導いたアメリカ艦隊の来航、すなわち「黒船来航」に端を発しています。翌年の安政元年(1854年)アメリカの要求に屈した徳川幕府は日米和親条約により箱館(今の函館、明治になるまで箱館と表記されました)の開港を決めました。それに伴い時の第13代将軍・徳川家定(とくがわいえさだ)は防衛力の強化を主目的として築造の命を下します。

幕末の始まりに築城された五稜郭はその後、幕末の終焉の舞台へと突き進みます。

アメリカに屈した徳川幕府に対する不満は討幕運動へと発展し、日本を二分する争い、戊辰戦争(ぼしんせんそう)へと向かいます。戊辰戦争で討幕軍に押され続けた旧幕府勢力は海軍副総裁・榎本武揚(えのもとたけあき)を総裁とし五稜郭を占拠。明治元年(1868年)仮の政権(蝦夷共和国)を樹立します。これに対し明治政府は征討軍を派遣して攻撃を開始、箱館戦争が勃発します。

土方歳三(ひじかたとしぞう)率いる新撰組も旧幕府軍に合流し応戦しましたが新政府軍の圧倒的な戦力に押され五稜郭は包囲されてしまいます。そして抵抗むなしく旧幕府軍は降参し幕末動乱の終焉を迎える事となりました。

幕末の動乱期に星の様に瞬いた五稜郭。1989年より始まった冬季に実施される『五稜星の夢(ほしのゆめ)』イルミネーションでは、堀を2,000個の電球で飾り星形を浮かび上がらせます。雪が積もった五稜郭が星の様に光り輝く姿を見て見たいものですね。

更に、その中心には平成22年(2010年)に140年の時を超えて箱館奉行所が再現され、今も観光名所として輝き続けています。

さて、五稜郭は西欧の学問や技術を研究する「箱館諸術調所」の教授を務める優れた教育者でもあった武田斐三郎(たけだあやさぶろう)がヨーロッパの「城郭都市」をモデルとする要塞として考案したものです。

※城郭都市の雰囲気の分かる写真が有りますので参考に添付します。ヘルシンキ(フィンランド)にある城郭スオメンリンナ(「フィンランドの城」の意)

五稜郭の敷地内には、武田斐三郎の顕彰碑があるのですが、その顔の部分だけが金色になっています。武田斐三郎は博学で知られている為、彫像の頭をなでてから自分の頭をなでると、頭が良くなるという言い伝えが生まれ、多くの人がその頭の良さにあやかりたいと思ってなでた結果、彫像の顔の部分だけが金色になったと言う事です。

星のように輝く五稜郭。その設計者も今尚輝いています(笑)

五稜郭は日本の城郭の中では特異な形をしています。時と場合によると思いますが異質な事は良い意味で輝きを増長させると言う事ですね。

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