近代に入ってから北海道の開拓が本格的に始まります。
明治維新以降、欧米列強からの植民地化を防ぐために日本は富国強兵化の道へと走り始めます。近代化を進めるに当たり資源は必要不可のものとなり、明治政府は石炭、木材、硫黄などの天然資源が豊富に眠る北海道の開拓を推し進める事となります。また、その一方で北の脅威ロシアの侵攻に備える為に屯田兵を創設し、こちらの政策でも開拓を進めて行きます。
開拓が進むにつれ会社・結社組織による移住が増えて行きました。帯広の開拓はその中の一つ甲州武田氏の流れを汲む伊豆国那賀郡(いずこくなかぐん)大沢村(現:静岡県賀茂郡松崎町)の豪農の出身である依田勉三(よりたべんぞう)率いる晩成社一行が明治16年(1883年)5月に入植したのが始まりです。
その頃の帯広はアイヌが10戸程と和人が1戸のみであり、開拓初期は冷害や虫害などに加え食糧不足など苦難の連続だったそうですが、その後数々の困難を乗り越え市街地を形成して行きました。
現在では北海道の中核都市へと発展し、十勝地方の観光拠点ともなっています。
帯広の観光の目玉の一つと言えば「ばんえい競馬」が有名ですが、この競馬の起源は北海道開拓期より各地で余興や催事として行われていた木材を運び出していた馬の力比べとされています。
現在、開拓の成果は実を結び十勝平野では豊かな自然の恵みを受けて作られる豊富な農作物、畜産物が得られるようになりました。
そして私たちは今、これらの素材を活かした美味しい十勝産の食べ物を堪能する事が出来ます。
帯広の開拓初期の生活は極端に苦しく食事も大変粗末なもので「豚とひとつ鍋」と称される、客人が豚の餌と勘違いするほどの粗末な食事だったそうです。しかしこの頃に始まった養豚の成果が実を結び今では帯広豚丼として十勝地方の郷土料理として定着しています。
また、北海道のお土産の定番の一つマルセイバターサンドを生産している六花亭(ろっかてい)の本社は帯広にあります。マルセイとは◯の中に成の字を入れたもので、依田勉三の興した晩成社の依田牧場が1905年(明治38年)に北海道で初めて商品化したバターのことだそうです。
最近ではタレントの田中義剛さんの経営する花畑牧場の生キャラメルも有名です。
この他にも十勝地方には数多くの美味しい食べ物が満載です!
私達観光客が自然の恩恵を受けた美味しい食べ物を堪能しながら楽しく旅行出来るのも、当時開拓した方々のご苦労があったからこその事だと思います。感謝の気持ち抱きながら旅行をすれば充実感はより一層深まるのではないでしょうか。
ところで帯広には他にも注目すべきものがあります。
市街地から南へ15kmの途別川に大正遺跡群はあります。ここから出土された土器に付着していた炭化物を測定したところ約1万4千年前ものと言う事が判明しました。
なんと、これは土器で煮たきした調理の痕跡としては世界最古(2012年12月現在)のものだそうです!
帯広は街の形成としては新しい土地ですが、人の生活の場としての歴史は古い土地と言う事になります。十勝地方を観光する際は古くて新しい街、帯広を拠点にして楽しみましょう!