龍野城に見守られる播磨の小京都

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龍野城

龍野城(兵庫県たつの市)は室町時代末期の明応8年(1499年)鶏籠山山頂に土地の豪族赤松村秀(あかまつむらひで)によって築城されました。

以降、赤松氏の時代は四代続きましたが天正5年(1577年)織田信長により播磨征伐を言い渡された豊臣秀吉の軍門に降り開城されます。

江戸時代に現在の位置に移され、城主の入れ替えが繰り返された後、万治元年(1658年)京極高和(きょうごくたかかず)の丸亀移転の際に破却され14年間は天領となりました。

そして、寛文12年(1672年)に幕命によって信州飯田から脇坂安政(わきざかやすまさ)が五万三千石で入部し龍野城は再建され明治まで10代続くこととなります。

このような歴史を持つ龍野城の裾に「播磨の小京都」と呼ばれる龍野地区(たつの市)の町は広がっています。

この龍野地区から発祥した二つのものを紹介しましょう!

まずは一つ目です。龍野は誰でも知っているこの歌「夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か~♪」童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風(みきろふう)の生誕地です。

ところで「おわれて見たのは」の「おわれて」は「追われて」と思っていましたが「負われて」と言う事です。これは「背負われて」の意味だそうです。知らなかった~。

二つ目は淡口醤油です。千葉や香川とともに醤油の三大産地の一つとしても数えられています。

龍野の淡口醤油は通常の醤油と同じ原料である大豆、小麦、塩、水を使いますが更に、もろみと甘酒を加える製法の特色があり他の土地で同じ製法で造っても薄い色の醤油にはならないそうです。

その理由は播州平野で育った小麦や米、大豆、赤穂の塩、町のすぐ横を流れる揖保川(いぼがわ)の超軟水から造られる事にあるようです。

淡口醤油はその土地の特徴を最大限に活かした特産品と言う事ですね。

龍野の町なかには露風の生家や淡口醤油のトップシェアを持つヒガシマル醤油の旧醤油蔵(現在は、うすくち龍野醤油会館)、龍野脇坂藩のゐ蔵を譲り受けて創業したカネヰ醤油などの建物が播磨の小京都の雰囲気を引き立たてています。

町歩きをしていると赤とんぼがデザインされたマンホールを目にしたり、淡口醤油を使用した淡口醤油饅頭を造る際の甘~い匂いが漂って来ます。私はこの匂いに誘われて思わず買ってしまいました(^^)甘みを抑えた餡子をほんのり広がる醤油の味が包み込んでとても美味しかったです。

匂い(嗅覚に訴える)の宣伝効果は絶大ですね。

淡口醤油の原料を育む豊かな自然に囲まれた龍野に訪れたら赤とんぼの歌を口ずさみながら町を散策しましょう!

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