季節によって色が異なる岡山後楽園

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後楽園

天気の良い日に公園の芝生の上で寝転がって目の前に広がる青空を見たら気持ちが良いですよね~♪

芝生とは芝が一面に生えている所、絨毯のように密集して生えている状態を指します。

大量の芝が使用されている場所と言えば、ゴルフ場、競馬場、サッカー場、野球場が思い浮かびますね。

では、日本の文献に「芝」が登場するのはいつ頃なのでしょうか?

最も古いものでは万葉集や日本書紀の和歌に記述が見られるそうです。また、芝が造園植物の材料として記述がみられるものが「作庭記」と呼ばれる平安時代末期に記された日本最古の造園書と言う事です。

それでは、日本で初めて大量の芝生を使って造られた庭園はどこでしょうか?

それは金沢市の兼六園(けんろくえん)、水戸市の偕楽園(かいらくえん)と並び日本三名園の一つとされる岡山市の後楽園(こうらくえん)です。

後楽園と聞いて東京ドームの前身である後楽園球場をイメージした人も多いのではないでしょうか?確かに野球場には大量の芝が使用されています。でも庭園では有りませんよね(^^)

岡山の後楽園と後楽園球場は何かつながりがあるのでしょうか?

答えは後にして岡山後楽園の紹介からさせて頂きます。

岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政(いけだつなまさ)が自らの休息のために家臣の津田永忠(つだながただ)に命じて岡山城北側に流れる旭川沿いに造らせました。貞亨(じょうきょう)4年(1687年)に着工され、元禄13(げんろく)13年(1700年)に一応の完成をみます。

その後、歴代藩主の好みで手が加えられ現代に至っていますがその姿は江戸時代から大きく変わってはいないと言う事です。

後楽園の主な役割としては藩主の静養、賓客接待として利用されたり、日を定めて藩内の人々を対象に観覧が許されたりしていたそうです。

さて、後楽園の名前の由来です。

工事が始まった当初は「御菜園」、「御菜園塚」などと呼ばれ、元禄8年(1695年)頃には城の背後にあることから「御後園」または「後園」と呼ばれるようになりました。

その後、年月は流れ明治4年(1871年)2月7日。当時藩知事に就任していた池田章政(いけだあきまさ)が一般に開放した際に「御後園」の名称を中国・宋の范仲淹(はんちゅうえん)が著した『岳陽楼記』にある「先憂後楽」からとって「後楽園」と改めました。

ちなみに『先憂後楽』とは、「天下の人々が憂えるのに先立って憂い、天下の人の楽しんだ後から楽しむ」という意味であり、儒教精神に基づく忠国の情を意味する言葉とされているそうです。

では後楽園球場の名前の由来はどうなのでしょうか?

球場の名は隣接する小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)から来ています。小石川後楽園は江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた日本庭園ですが、名前の由来は岡山後楽園と同じ『岳陽楼記』にある「先憂後楽」から来ています。

と言う事で岡山後楽園と後楽園球場はその名前の由来が同じと言う事で一応関係があると言うのが答えになりますね。

私が岡山後楽園に訪れたのは冬だった為、緑の芝に囲まれた庭園を見る事が出来ず、全面ベージュに覆われていました。最初は残念に思いましたが、考え方によっては、こんな景色の日本庭園を見る事はなかなか出来ないですよね。

隣の芝は青く見えると言いますが、これも本人の見方によっては青にも茶色にもなるのではないでしょうか?

四季折々、色々な姿を見せてくれる岡山後楽園へ行きましょう!

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