↑備中高松城址公園
ガラスの玉の様にコロコロと蓮(ハス)の葉の上を転がる水の動きは私達の目を楽しませてくれます。
超微細な凹凸構造からもたらされる優れた撥水効果により水玉は葉を濡らすことなく表面に付着した小さな汚れを絡め取りながら滴り落ちます。蓮科の植物に見られるこの自浄性をロータス効果(蓮の英語はロータスです)と呼びます。
戦国時代にこの自浄性とも思われる行動を示した武将がいます。
天下統一を目指す織田信長は毛利家の支配する中国地方への侵攻戦を開始しました。1582年(天正10年)その総大将の命を受けた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は毛利氏配下の清水宗治(しみずむねはる)が守備する備中国(びっちゅうこく:現在の岡山県西部)高松城の攻略にかかります。
↑備中高松城址公園内のモニュメント
「備中高松城の戦い」です。この戦いの最大のハイライトは何と言っても水攻め! 高松城の周囲に堅固な長堤を築き、近くを流れる足守川の水を堰き止め人工湖を出現させ城を孤島化させてしまうという奇策です。
1ヶ月余りの籠城により城兵が衰弱しきるころ京都で明智光秀の謀反「本能寺の変」が起きます。これを知った秀吉は敵方にその情報が届く前に宗治の切腹と開城を条件に和睦を成立させ高松城を落城させます。
↑備中高松城址公園
秀吉はその後、即座に京に向けて軍勢を移動させ(中国大返し)光秀との戦い(山崎の合戦)に勝利します。「備中高松城の戦い」は豊臣秀吉と言う武将が天下取りへの道へと花開く起点となった戦と言えるでしょう。
その一方で自害した清水宗治は切腹の作法を変化させる転機を作ったと言われています。
それまで切腹には特定の作法があるわけでなく見苦しく残酷なこととされていたようです。また、そもそも降参した敵はその首をは刎ねられるのが通常で切腹による自害自体はめったになかったそうです。
宗治は切腹する前に髭を剃り、身だしなみを整え小舟で秀吉の陣の前まで進み、ひとさし舞ったのち潔く腹を切り介錯人に首を刎ねさせました。この姿を実際に見た武士たちから賞賛を受け「武士の鑑」「日本一の武辺(ぶへん)」と称され切腹が武士にとっての名誉ある死という認識が広がっていったそうです。
現在、高松城跡は歴史公園として整備されていますがその一角に蓮の群生する沼があります。
↑蓮の群生する沼:冬に撮影した為、残念ながら蓮の咲いている写真は撮影出来ませんでした(ToT)
そして、ここの蓮は宗治蓮と名づけられています。かつての本丸と二ノ丸の間のこの地には蓮池の地名が残されおり岡山市が公園造成を進めるなか沼の復元をしたところ自然にはえて来たものだそうです。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われています。蓮は大きい花を咲かせるためにはとても汚い泥水が必要になるそうです。泥水によって大きな花が咲き、綺麗な水の場合は小さな花しか咲かないそうです。
宗治の苦悩・苦痛を泥水に例えるなら、宗治の自害によってロータス効果(自浄性)が働き苦悩・苦痛と言う泥水と引き換えに切腹と言う行為が武士にとって名誉あるものに昇華され、信長の亡き後、秀吉と言う大きな花を咲かせたのかも知れません。
ハスの花言葉には「清らかな心」「神聖」「雄弁」「休養」「沈着」などがあります。宗治にピッタリと合った花言葉ように思えます。
人生を歩む中で失敗や挫折にしばしば直面することがあります。そのような時にもただ単に失敗や挫折に終わるのではなく代わりに何かを得ることの必要性を伝えたくて宗治は長いあいだ土の中に埋もれていた蓮をよみがえらせたのかも知れませんね。