抜群の吸収性! 心地よい肌触り!
タオルと言ったら今治(いまばり)を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか?
今治(愛媛県)は世界最大のタオル産地と言われており、日本国内の生産量の半分近くを占めています。
しかし、その生産量は平成3年(1991年)には5万トンだったものが安い中国産などに押され平成21年(2009年)には9千トンにまで落ち込んでいます。
すごい落ち込みですね(ToT)
ところが平成22年(2010年)以降、毎年伸び続け平成25年(2013年)は1万1千トンまで来ています。そして、最近の今治タオルは「高価で高品質なタオル」と言うイメージが定着しつつあります。
何故でしょうか?その理由を今治のタオルの歴史と共に追ってみましょう。
この地方の織物に関する記録で一番古いものは正倉院に現存するアシギヌと言う絹織物に「天平18年(748年:奈良時代の聖武(しょうむ)天皇の頃)に伊予国越智郡(現愛媛県)から献納された」と記載されているそうです。
平安時代になると海外から綿花の種子が持込まれ、温暖な気候のこの地方で綿が栽培されるようになりました。
江戸時代には白木綿(綿織物)が生産されるようになり「伊予木綿」の名で全国へと売り出されていましたが、明治に入ると泉州(大阪府南部)や播州(兵庫県南西部)で作られる安価で質の良い製品に押され衰退して行く事になります。
以前にも今治の産業は危機的状況に追い込まれていたんですね。
この流れを変えたのが青年実業家・矢野七三郎(やのしちさぶろう)です。
七三郎は綿ネル(フランネル(毛織物)に似せた綿織物)に目を付け、その製造技術を導入し明治19年(1886年)から製造を開始しました。これにより今治の綿産業は再び活況を取り戻す事になります。
一方その頃、泉州では「西洋手拭(せいようてぬぐい)」、要するにタオルの製造が日本で初めて着手されていました。
これを見た今治の綿ネル製造業者の1人である阿部平助(あべへいすけ)はタオルに将来性を感じ綿ネル機械を改造、明治27年(1894年)からタオルの製造を開始します。
今治タオルの誕生です!
その後、今治は日本一のタオル産地となりますが冒頭で説明したように近年中国産などの安い製品に押され生産量は激減して行きます。
その打開策として打ち立てられたのが平成18年(2006年)に発足した「今治タオルプロジェクト」です。このプロジェクトにはクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナーの肩書きを持つ佐藤可士和さんが起用され復活への取り組みを指揮して行きます。
具体的には
①ロゴの統一
②「今治タオル」独自の品質基準の策定
③コンセプトの明確化
④市場拡大の為のプロモーション活動
などによって今までバラバラだった(ある意味ライバル同士だった)メーカーをまとめ上げ地域ブランド化して行くと言う戦略です。
これが平成21年(2009年)以降の生産量の伸びと言う形で効果に現れる事となります。
今治タオルは現在JAPANブランド「imabari towel」としてグローバル展開を進めています。
日本各地には素晴らしい技術や品質を備えた特産品が存在します。タオルに限らず日本人の「お・も・て・な・し」が伝わるオンリーワンの強くて優しいJAPANブランドが世界に拡がって行く事を願ってやみません!
今治は風光明媚な瀬戸内海を横切る「しまなみ海道」の四国側の出入口です。今治に訪れた際は今治タオル本店に寄ってみて下さい。お気に入りのタオルが見つかると思いますよ\(^o^)/