地の利を活かした日本最大のフグの集積地!
下関(しものせき:山口県)と言えばフグですよね♪
下関は東シナ海、日本海、瀬戸内海を結ぶ海の交通の要衝でありフグの好漁場。また、玄界灘沖や瀬戸内海西部沿岸はトラフグの産卵地でもあります。これらフグの集まる立地条件が下関をフグの町へと発展させました。
フグとの関わりも古く安岡地区にあるおよそ2500年前の縄文時代の潮待遺跡(しょうまちいせき)の貝塚からはフグの骨が発見されていそうです。
さすがフグの町!
下関の人達にとってフグとは切っても切れない関わりとなっていると言う事ですね。
それはフグの呼び方にも現れているような気がします。
下関ではフグと発音せずにフクと発音します。
平安時代中期に作られた辞書・和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には「布久」と記載されているそうです。フクは「福」につながりフグは「不遇」につながる事からフクと呼ばれるようになったと言う事です。
このような下関ですが、フグ食が禁じられていた時期があります。
いつ頃?どうしてなのでしょうか?
豊臣秀吉の主導により実施された朝鮮出兵。その時、兵士にフグの中毒死が続出。それを防ぐため秀吉はフグ食を御法度にしたと言う事です。
その後、江戸時代に入っても、フグ食の禁止を唱える藩は多かったようです。当主がフグ毒で死んだ場合「主家に捧げなければならない命を、己の食い意地で落とした輩」とみなされ、お家断絶等の厳しい処分がなされたと言う事です。
いくらフグが美味しくても、お家断絶になってはたまりませんね(^^;
明治政府も「河豚(フグ)食う者は拘置科料に処する」と言う法令を出しています。
では、フグ食を解禁したのは誰なのでしょうか?
それは、伊藤博文です。
下関の料亭を訪問した際にフグを食べ、その美味しさに感嘆し山口県のみでのフグ食を解禁したそうです。
明治政府がフグ食に関する法令を発布したのが明治15年(1882年)。伊藤博文が初代内閣総理大臣となったのが明治18年(1885年)。伊藤博文がフグを解禁したのが明治21年(1888年)。
この流れ、ある意味職権乱用?(^^;
フグにまつわる話が尽きない下関。下関に訪れた際にはフグにも接したいですよね!
気軽にフグと出会える場所の一つに唐戸市場(からといちば)があります。ここは「関門の台所」とばれフグを始めタイやハマチなどの新鮮な魚が集まります。
市場内にはフグのお店が軒を連ね活況を呈しています!
ここでは地元の漁師さんたちが獲った魚も直接販売しており、卸売市場と小売販売の機能が共存する全国的にも珍しい市場と言う事です。
「共存共栄」。。。今後いろんな分野で益々重要になって来るのではないでしょうか?フグも毒と共存共栄していますし(^^)
下関に行って美味しいフグを食べましょう!
【English WEB】
http://japan-history-travel.net/?p=5343
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