海と山のコントラストを描く関門海峡を目前に見渡す事の出来る高台。そこに配置された亀山砲台(かめやまほうだい:山口県下関市)。
1863年(文久3年)5月11日、攘夷(じょうい)を実行する為、この砲台から長州藩士久坂玄端(くさかげんずい)の指揮によりアメリカ商船に対し一発の砲弾が放たれました。
この報復措置として米仏軍艦は停泊中の長州軍艦を砲撃。長州海軍は大打撃を受けました。更に翌年の1864年(元治(がんじ)元年)、英仏蘭米の四国連合艦隊との戦いにより長州藩は無力化されてしまいます。
世に言う馬関戦争(ばかんせんそう)です。
この後、長州藩は海外から最新の技術や知識を取り入れ軍備を近代化。やがてそれは薩摩藩との薩長同盟へとつながって行きます。
亀山砲台は正に日本が近代化へと向かう引き金となった場所と言っても良いのではないでしょうか。
そんな亀山砲台跡は亀山八幡宮の境内にあります。
↑亀山砲台跡
亀山八幡宮は859年(貞観(じょうがん)元年)に宇佐八幡宮から勧請(かんじょう:神仏の分霊を他の場所に移しまつること)された応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇を御祭神とする由緒ある八幡宮です。
この八幡様、亀山砲台跡以外にも何気に凄いものを取り揃えています!
以下、ご紹介させて頂きます。
① かつて境内にあった「お亀茶屋」。刺客に追われた伊藤博文はこのお茶屋でお茶子をしてい木田梅子(きだうめこ)に助けられます。これが縁で二人は結ばれ夫婦となりました。
↑お亀茶屋跡にある記念碑
② 鎌倉時代、京都御所守護職の藤原基晴(ふじわらもとはる)とその三男・采女之亮政之(うねめのすけまさゆき)はこの地に移住します。そして当時下関で髪結をしていた新羅人(しらぎじん:現在の韓国・北朝鮮の一部)から技術を学び、日本初の床屋を開いたとされています。
ちなみに、店の床の間には亀山天皇と藤原家の先祖を祭る祭壇があっ たので下関の人々はいつの間にか「床の間のある店」 転じて「床場」さらに「床屋」という屋号で呼ぶようになったそうです。つまり床屋と言う言葉は下関発祥と言う事になります!
③ 亀山八幡宮の大鳥居は高さ12.7m、横幅15.5m!御影石の鳥居としては日本最大!
④ 下関と言えばフグ!境内に有るフグの銅像は世界最大!ちなみに亀山八幡宮の正面にはフグの一大集積地、唐戸市場(からといちば)が有ります。参拝後に寄ってみて下さいね。
どうですか?すごいレパートリーでしょ\(^o^)/
亀山八幡宮から「能ある鷹は爪を隠す」と言う言葉を連想しました。実力のある者ほど、それを表面に現さない。そんなカッコいい人物になりたいですね♪
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