愛媛県の今治城(いまばりじょう)、大分県の中津城と並び日本三大水城の一つ香川県の高松城は天正15年(1587年)、四国制圧後に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正(いこまちかまさ)によって築城されました。
高松と言う地名は築城に際し香東郡野原庄(のはらしょう)と呼ばれていたこの地域を高松と改めた事に始まります。
現在の高松城の遺構は徳川光圀(水戸黄門)の兄で、徳川家康の孫に当たる松平頼重(まつだいらよりしげ)によって改修されたものです。
頼重は寛永19年(1642年)に常陸国(ひたちのくに:現在の茨城県)下館藩(しもだてはん)から12万石の領主として高松城に入城しました。
以降、将軍家と近親の関係に有った松平家が11代228年間にわたり高松藩を治める事になります。
さて、この高松藩ですが白い物と縁がありそうです。
藩の財政を助けたのが讃岐三白(さぬきさんぱく)と呼ばれる綿、塩、砂糖です。
綿の栽培には温暖な気候と適度な雨量が必要です。讃岐は温暖な気候ではあるものの雨量が少ない為、藩は灌漑施設を整備し稲作・麦作に不向きな土地を開墾し綿栽培を奨励しました。
また、沿岸部を利用して大規模な塩田を開拓し塩の生産量を増やしました。
そして三つ目の「白」である砂糖は和三盆(わさんぼん)として全国的にこの地方の特産品として有名です。和三盆は医師の向山周慶(むきやましゅうけい)に製糖技術を学ばせ白糖の製造に成功した事に始まります。
三盆の名は、「盆の上で砂糖を三度「研ぐ」」という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもので、高級砂糖を意味するとの事です。↑和三盆
ところで、この地方ではお雑煮に餡餅を使用するそうです。
和三盆は高級品な為、庶民の口には滅多に入らず幕府への献上品として多くが用いられていました。これにより「せめて正月ぐらいは砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われているようです。
お餅も「白」ですよね♪
ここまで読んで皆さんお気づきでしょう。綿、塩、砂糖、お餅。。。。。まだ大事な白い物がありますね。
そうです、香川と言ったら「讃岐うどん」です!
香川県では一人あたりの消費量が全国平均の2倍。自県を「うどん県」と称するほどです。
平成21年(2009年)に行われた「米麦加工食品生産動態等統計調査」(農林水産省総合食料局)の結果を見ると香川県のうどん用小麦粉使用量は59,643tで、2位の埼玉県(24,720t)を大きく引き離し全国第1位となっています。
凄いですね~。「うどん県」と自称するのもうなずけます。
でも、それもうなずけます。本場の讃岐うどんはコシがあって本当に美味しかったです!何度でも食べたくなってしまいますね。
うどんのコシを決める塩が高松藩の特産品の一つ。小麦の栽培に適した気候。小豆島などで醤油製造が発達していた。これらの条件が重なり、この地方でうどん作りが盛んになったようです。
記録としては江戸時代前期のうどん屋の営業に関する記述が期現存する香川・讃岐地方のうどんに関する最も古いものだそうです。
「讃岐三白」「餡餅雑煮」「讃岐うどん」。。。白い物に縁のある高松藩ですが最後にもう一つ高松城について附け加えさせて頂きます。
創建時の天守は黒い外観だったようですが寛文11年(1671年)の大改修の際に、白漆喰総塗籠の天守に改築されたと見られているそうです。
生まれて来た子供の心は白く真っさらな状態でしょう。しかし、年齢を重ねる事に色々な色が混ざって来ます。白には信頼感や清潔感といったクリーンなイメージを与える効果があります。大人になっても白く真っさらな心を維持したいものですね♪
【English WEB】
http://japan-history-travel.net/?p=5515
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