マルタで信頼を得た日本海軍

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ヴァレッタ_Fotor

マルタ共和国はマルタ島とゴゾ島の2つの島からなり面積は東京23区の半分程度の小さな島国である。

イタリア・シチリア島の南に位置し、地中海のヘソと呼ばれている。

その歴史は古く、先史時代に築かれた30近くに上る巨大神殿が点在している。しかし、これらの神殿が築かれるに当たり、どうやって数十トンに及ぶ巨大な石が運ばれたのか、重機を用いずにどのようにして組み立てたのか、謎は多く残されている。

マルタ島の不思議な一面である。

01 タルシーン神殿

02 タルシーン神殿

↑タルシーン神殿の遺跡

マルタはその立地条件ゆえに他民族からの侵略を受け続けて来た。

紀元前400年頃から始まるローマによる支配、アラブ人の侵攻、ノルマン人の占拠。近世の初めにはスペインの支配下に置かれ16世紀の半ば頃に聖ヨハネ騎士団(後のマルタ騎士団)の所領となった。ナポレオンのエジプト遠征時には占領され、その没落後はイギリスの支配下となる。

1964年、英連邦王国マルタ国としてイギリスから独立。更に1974年に現在のマルタ共和国となっている。2004年には欧州連合 (EU) にも加盟している。

このような歴史を辿って来た理由からなのかマルタの街並みはヨーロッパの中にあって一種独特な雰囲気が漂っている。

03 ヴァレッタ

04 ヴァレッタ

↑首都ヴァレッタの街並み

周りが城壁と堡塁によって囲まれた首都ヴァレッタは馬の背状の土地にマルタ・ストーンと呼ばれる蜂蜜色の石灰岩に彩られた建物が密集している。この街は1565年のトルコ軍によるマルタ攻略の「大包囲戦」の勝利後に築かれた要塞都市である。

05 ヴァレッタ

↑首都ヴァレッタの風景

06 ヴァレッタ

↑首都ヴァレッタに有る砲台

そのヴァレッタからバスで約30分程度離れたカルカーラにある旧イギリス海軍墓地 (現イギリス連邦墓地) の中に日本海軍慰霊碑が建立されている。

07 イギリス連邦墓地(日本海軍慰霊碑建立地)

↑イギリス連邦墓地

日本人にとっては馴染みの薄いこの国で何があったのだろうか?

第一次世界大戦の最中、ドイツは地中海で潜水艦Uボートによるイギリス船への無差別攻撃を行っていた。その被害の拡大を防ぐためイギリスが同盟国であった日本へ艦隊派遣を要請。これに対し日本は巡洋艦「明石」と駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊を地中海へ派遣したのである。

もうお分かりでしょう、慰霊碑はこの時派遣された海軍兵士のものである。

08 イギリス連邦墓地(日本海軍慰霊碑建立地)

↑日本海軍戦没者墓地のプレート(残念ながら慰霊碑の写真は撮影しなかった為、ありません)

Uボートとの交戦中に駆逐艦「榊」が魚雷攻撃を受けて大破。艦長ら59人が犠牲となった。他の戦闘と併せると78名もの兵士が帰らぬ人となったのである。

特筆すべきはその記録から知る事の出来る日本海軍の活躍である。

以下その功績を列記したい。

○ 魚雷攻撃を受け沈没していく兵員輸送船「トランシルバニア号」の救援に際し、戦闘状態の中、敵潜水艦の目前で乗員約1,800名を救助。これは奇跡とも言える型破りの救助であった。

○ 自力航行不可能となった英船「パングラス号」を戦闘を続けながら3日間かけてマルタに無事届ける事に成功。この偉業にマルタの人達は日の丸を掲げて出迎えた。

○ 英船「カメロニアン号」に発射された魚雷攻撃に対し駆逐艦が自ら盾となり輸送船を守り抜いた。これらの活躍により日本艦隊の護衛でなければ出発しないという輸送船の船長が出る程の信頼を得たと言う事である。

絶大なる信頼の高まりからイギリスは日本海軍を「地中海の守護神」と称え、英国議会では議会始まって以来、日本語で「バンザイ三唱」までもが行われたそうである。

我々日本人が誇るべき歴史の一幕である。

もちろん戦争はあってはならないものだ。しかし、この出来事は多くの日本人が知るべき事実であり、現代の私達が学ばなければならない事でもある。それは、いかなる状況の中においても真摯に勇敢に取り組む姿勢である。そして、それは人々から信頼を得るもっとも有効な手段になり得ると言う事だ。

マルタに訪れる機会は少ないと思う。しかし、もし行く機会に恵まれたならば是非とも日本海軍慰霊碑まで足を運んで頂きたい。

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