高岡城の廃城後の行く末を決めた人物

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高岡古城公園

豊かな水と緑に囲まれた高岡城跡(富山県高岡市)。現在は高岡古城公園として整備され高岡市民の憩いの場となっています。

01 高岡古城公園_Fotor

城の遺構として石垣が一部残っていますが、もし何も知らず訪れたら、ここが城跡だとは気付かないくらい自然に恵まれた環境です。

02 高岡古城公園_Fotor

高岡城は加賀前田家2代目・前田利長(まえだとしなが)によって1609年(慶長14年)に築城されました。しかし、その5年後、利長は死去。1615年(元和元年)には一国一城令により築城からわずか6年で廃城となってしまいます。

03 高岡古城公園_前田利長の像_Fotor ↑前田利長の像

当時「城の無い城下町は衰退していく」と言われる中、利長の後を継いだ前田家3代目の前田利常(まえだとしつね)は、鼻毛は延ばしっ放し、宴会を開いては裸踊りで大はしゃぎするバカ殿。

高岡の町はどうなってしまうのでしょうか?

04 高岡古城公園_本丸広場_Fotor

↑本丸広場

その結果は現在の高岡市に目を向けてみると分かります。高岡市は富山市に次ぐ富山県第2の都市に発展しています。

当時、前田家は幕府から睨まれていた為、利常の行動は謀反を起こす才覚はないと思わせる為のカモフラージュだったのです。

05 高岡古城公園_朝陽橋_Fotor

↑高岡古城公園内(朝陽橋)

高岡城の廃城が決まった時、利常は「高岡の人々の転出を規制し、商業都市への転換を図る」と言う政策を取った為、高岡は商工業の町として発展して行きました。

特に高岡銅器、高岡漆器は高岡城の築城を機に生産が始まり400年に渡りその伝統は受け継がれ現在も高岡市の特産品となっています。

漆器について一つ思い出した事があります。

以前、フランス人に漆器のお猪口(ちょこ)をプレゼントした際に、その見た目と軽さに「これはプラスチックですか?」と質問された事があります。漆器について説明したところ大そう驚いていました(^^)

漆器は金型で成形したプラスチック製品と間違えてしまう程の精妙さを持ち合わせていると言う事ですね。

ところで漆器の技術が伝承されている高岡ですが、プラスチックとまんざら関わりが無いわけではありません。

アドレナリンの発見と消化剤タカジアスターゼの発明で世界的に有名な高岡市出身の高峰譲吉(たかみねじょうきち)博士は日本でのプラスチック工業の草分け的存在でもあります。

世界最古のプラスチックであるフェノール樹脂の日本特許の専用実施権はフェノール樹脂の開発者であるアメリカのベークランド博士から高峰博士を通して三共合資会社が受け1911年(明治44年)日本で初めてプラスチックの試作製造が開始されました。

三共合資会社は後に三共株式会社(現第一三共株式会社)と改組され初代社長に高峰博士が就任しています。

以上のように「うつけ」を装った利常の政策が発端となり、高岡の町は発展し、高峰博士の様な偉人をも輩出しました。

うつけを装うのも嘘の一つです。嘘はいけませんが、周りに迷惑をかけない嘘であれば「嘘も方便」、時には将来の為に嘘をつく事も許される一例ではないでしょうか。

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