眼下に広がる上越の街。遠くには直江津港と日本海まで視界に収める事が出来ます。
標高180mに位置する春日山の山頂にあるこの地は、かつて越後の虎と呼ばれた軍神・上杉謙信の居城・春日山城の本丸址です。
↑本丸址
↑上杉謙信像
春日山城は自然の起伏を活かした難攻不落の山城。勇猛な謙信に相応しい荒々しさを感じます。
「我を毘沙門天(びしゃもんてん)と思え」
謙信が発した有名なセリフの一つです。
「毘」の字の旗を陣頭にかざし戦場に赴きました。
その生涯で負けたのはたった2回。70回の戦をしたと言われているので勝率にしたら96%!
強い!
戦国時代最強の武将と呼ばれるゆえんですね。
謙信は武神である毘沙門天を厚く信仰し毘沙門天を祀る毘沙門堂を建てて毎日のように祈念していたそうです。
毘沙門堂の址は本丸近くにあり、現在のお堂は1931年(昭和6年)に建立されたものです。
↑毘沙門堂
さて、突然話は変わりますが越後のポピュラーなお土産の一つに笹団子(ささだんご)があります。
↑笹団子
笹団子の由来はいくつかの説があるようです。
その内の一つは上杉謙信が考案したという説だそうです。但しそれを裏付ける証拠はないようです。
「北越風土記(ほくえつふどき)」にはもう少し信ぴょう性のある説が記されているようです。
謙信が春日山城を出る際の兵糧として菓子役人が中国のちまきをまねて考え出したというものです。
このような諸説の由来を残す笹団子は端午の節句に無病息災を祈って食されて来たそうです。
今回、毘沙門天と笹団子の共通項に気付きました。
毘沙門天は甲冑(かっちゅう)をつけた姿が主流。無病息災の神という一面を持っています。
笹団子は端午の節句に無病息災を祈って食されて来たそうです。端午の節句ときたら甲冑です。そして謙信が考案したという説があります。
世紀の大発見です!謙信は笹団子を毘沙門天の化身とて戦場に持って行ったのかも知れません!
少々難有りですね(笑)お騒がせしてすみませんm(_ _)m
でも、色々な事をつなぎ合わせると何か面白い発見があるかも知れませんね(^^)
話を春日山城に戻します。
春日山城には毘沙門堂の他に謙信が祀られた春日山神社。謙信の後を相続した上杉景勝(うえすぎかげかつ)の屋敷跡。その景勝の片腕として活躍した直江兼続(なおえかねつぐ)の屋敷跡などなど見どころ満載です。
↑春日山神社
↑直江屋敷址
冒頭で説明したように春日山城は山城です。これらの遺構を巡るのに山の中を約1時間歩く事になります。
↑春日山城址
運動不足の人には丁度良い運動になりますね。
春日山城巡りで疲れた方は毘沙門天の化身(?)の笹団子を食べてエネルギーを補充してみてはどうでしょうか(^^)