「雁(がん、かり)」ほどことわざや熟語などに多く使われている鳥の名前はないでしょう。
↑雁(出典:ウィキペディア)
「雁首を揃える(がんくびをそろえる)」:その場にいた者や関係者が整列する(多く、卑下したり悪態をついたりする時に用いる言葉)。
「雁の使い(かりのつかい)」:便り、手紙のこと。
「後の雁が先になる(あとのかりがさきになる)」:後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。
「沈魚落雁、閉月羞花(ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)」:この上ない美女を形容する言葉。あまりの美しさに、魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ、花は恥じてしぼむという意から。
「雁がたてば鳩もたつ(がんがたてばはともたつ)」:身のほども考えず、むやみに人まねしようとすること。渡り鳥である雁が飛び立つのを見て、遠くまで飛べない鳩も飛び立つことから。
「雁字搦め(がんじがらめ)」:束縛が多くて自由な行動がまったくとれないこと。あるいは縄やひもを左右上下から幾重にもまきつけること。雁の編隊飛行のような形に人を縛ると、身動きが取れなくなる。あるいは、強盛(がんじょうの唐音)から音変化したものであるとの説がある。
がんじがらめってこんな字をかくのですね。知らなかったです(^^)
「がんもどき」:豆腐をつぶして、ニンジンやレンコン、ゴボウなどと混ぜて、油で揚げた料理。名前の由来については雁の肉に味を似せたなど諸説ある。
おなじみの食べ物ですね。ちなみに漢字にすると「雁擬き」となります。
その他、「雁歯(がんし)」「回雁(かいがん)」「落雁(らくがん)」「雁爪直し(ガンヅメナオシ)」「雁が飛べば石亀も地団駄(がんがとべばいしがめもじだんだ)」などがあります。
そして今回のテーマである「雁木(がんぎ)」もその一つです。
関ヶ原の戦い以前は上杉氏の領土であり江戸時代に松平忠輝(まつだいらただてる)が高田城を築いてから高田藩の城下町として栄えた上越市南部の高田地区。
ここは豪雪地帯として知られ1945年(昭和20年)2月26日には377cmの最深積雪を記録しているそうです。
「この下に高田あり」
平野部の都市では群を抜く積雪量を誇る高田ではあまりの大雪で家並みも埋もれてしまい、かつては旅人のためにこのように書かれた高札が立てられたと言われているそうです。
すごい積雪ですね〜
この豪雪から生活を守るために出来たのが雁木です。
雁木とは冬期の通路を確保する為に造られた雪よけの屋根のことを指します。
かつては新潟県だけでなく東北から山陰までの広い範囲に分布していましたが明治以降時代の変遷と共に多くの町から消え去って行きました。
しかし、雁木発祥の地と言われている高田の町には今日でも雁木通りが残っており、その総延長は16kmと現存する雁木としては日本一の長さを誇っています。
雁木のある町中で行われる朝市「四・九の市」は1924年(大正13年)から行われるようになり今も続いています。
↑朝市の様子
高田本町商店街は整備されて近代的なアーケードとなっていますがそれも雁木の名残りと言えるのではないでしょうか?
↑高田本町商店街
雁木は高田の人々の生活の中に溶け込んでいると言えるでしょう。
いつ頃雁木は造られたのでしょうか?
江戸中期の記録によれば高田の城下町で雁木が作られたのは江戸初期松平光長(まつだいらみつなが)の治世と言われています。
1665年の真冬に起きた大地震は4mを超える積雪と共に城下町全体を壊滅的な状況へ追い込みました。この時、町の復興の過程で雁木が整備されたと見られています。
雁木はそれ自体も、そしてその下を走る通路も個人の所有でありその事は江戸時代から続いているそうです。さすがに現代において固定資産税は免除されているようですが豪雪の中を歩く人の為に私費をかけると言う形態は現在まで引き継がれて来た伝統と言えるでしょう。
故に雁木は統一感のあるものではなく家ごとに形や大きさが異なる不揃いな編成となっています。この外観が雁がギザギザで不揃いな編成で空を飛ぶ様に似ていることから雁木の語源になっているようです。
「葦を啣む雁(あしをふくむかり) 」とは準備が整い手抜かりが無いことの例えです。
渡り鳥の雁は繁殖地のシベリアから越冬のため日本へやって来ます。遠く海を渡る前に海上で翼を休めるための葦を用意し、これをくわえて渡りの旅に出たという伝説からこの言葉が生まれたそうです。
高田の人々は厳しい冬を乗り越えられるように手抜かりの無い準備の一つとして雁木を造りました。
雁木に雁の文字を使ったのは適切な選択だったのかもしれませんね(^^)
「雁」と言う文字と同じように色々な場面で重宝がられる事は世の中が目まぐるしく変わる現代に住む私達に求められる事の一つかもしれません。
時代の変遷の中にあっても維持され続けている高田の雁木はそれを証明しているような気がします。