17世紀に黄金期を迎えたオランダは貿易の中心地としてその守備範囲を世界中に広げていました。
そんな中、1600年(慶長5年)4月、オランダ船リーフデ号が日本へ漂着します。これがオランダと日本との交流の始まりと言われています。
江戸幕府の鎖国体制から、イメージ的には徳川家康が鎖国体制を始めたと思われがちなところもありますが家康自身は海外交易に積極的な人物でした。
家康は漂着したリーフデ号の航海士ヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスらを外交顧問として採用、1609年(慶長14年)に朱印状(海外渡航許可証)を発行しオランダと貿易を始めています。
なんと、この朱印状はオランダでは国宝扱いされているそうです!
2014年(平成26年)4月には駿府城(静岡市)の坤櫓(ひつじさるやぐら)の復元工事完成にあたりオランダ大使から静岡市長に複製が手渡されています。
↑駿府上坤櫓展示朱印状複製
朱印状には以下のように書かれています。
『オランダ船が日本の如何なる浦に着岸しても、問題があってはならない。今後は前述の趣旨を守り、オランダ人は支障なく往来できる。少しでもおろそかに扱ってはならない。以上。 慶長14年7月25日』
以上のように日本と古くから関わりのあるオランダはどのような国なのでしょうか?
教科書などでおなじみの東インド会社の本拠地が置かれていた首都アムステルダムを拠点にオランダ探索をしてみましょう。
アムステルダムの街は中央駅を起点に放射状に広がり、市街地には165本の運河が縦横に走り1292もの橋が掛かる水の都です。
↑マヘレの跳ね橋
ちなみにアムステルダム中央駅は東京駅のモデルになったとする俗説がありますが現在では、ほぼ否定されています。
↑アムステルダム中央駅
家康の時代よりオランダから多くの影響を受けた日本ではありますが、日本から影響を受けたオランダ人もいます。
ゴッホです。
浮世絵好きだったゴッホは油彩による浮世絵の模写を多く手掛けています。ゴッホの絵画はヴィンセント・ファン・ゴッホ国立美術館で見る事ができます。
↑ヴィンセント・ファン・ゴッホ国立美術館
オランダ人ではありませんが日本でも良く知られている少女の家がアムステルダムに残っています。
「アンネの日記」で有名な少女アンネ・フランクの隠れ家です。
↑一階の玄関が黒く塗られた建物がアンネの隠れ家
「アンネの日記」を読むと、私たちが送っている普通の生活がどれだけ幸せなことなのかを改めて感じずにはいられません。
さて、アムステルダム近郊へ移動してみましょう。
電車とバスを乗り継いで約1時間。キューケンホフ公園では日常を忘れ花の世界にたっぷりと身を浸すことができます!
↑キューケンホフ公園
このオランダ随一の花の名所には東京ドームの約7倍の敷地面積にチューリップを中心とした600万株以上の植物が植えられています。
オランダをイメージした時にチューリップを想像する人は多くいると思いますが、他のものをイメージした人もいるのではないでしょうか。
そうです風車です!
アムステルダムから電車とバスを乗り継ぎ約2時間。キンデルダイクと言う小さな村に到着すると勇壮な19基の風車が出迎えてくれます。
これだけの規模の風車群を見られるのはここだけです!
このキンデルダイクの風車群は世界遺産にも認定されています。
↑キンデルダイクの風車群
ところで色々周って来たのでそろそろお小腹が減ってきませんか?
それではオランダならではの場所へご案内しましょう。
コロッケの自動販売機です(^^)
街角で見かけるこの自販機を利用すればいつでも暖かいコロッケが食べられます!
↑コロッケの自販機
ざっと駆け足でオランダ巡りをしましたが最後に現在の日本とオランダの関係を紹介させて頂きます。
家康の時代以来400年近くのお付き合いをしているオランダですが2004年(平成16年)の直接投資は、日本からオランダが7,764億円、オランダから日本が3,164億円となっており、いずれもEU加盟国中第1位です。
更に2014(平成26年)年12月24日、オランダ政府は1912年(明治45年)に締結された日蘭通商航海条約を根拠に日本国籍を持つ人に「自由に労働が可能な居住許可」を交付しました。これにより、日本国籍の持ち主は、オランダにおいて住民登録と銀行口座を開設すれば労働許可を申請しなくても働くことが可能となりました。
オランダでEU域外の人が働く場合、様々な労働許可の手続きが必要な事を考えると遠く離れた極東の国の日本人に与えられた待遇は日本とオランダの関係の重要さを物語っているのではないでしょうか。
これからもこの友好関係を継続するために信頼される日本人であり続けたいですね。