海峡とは言え、まるで川のよう!
広島県呉市にある本州(警固屋)と倉橋島(音戸町)の間に存在する音戸の瀬戸は幅わずか90m、可航幅60m。潮の流れは早く、最大で4ノット(時速約7.4km)。
「瀬戸」の意味は、両側から陸地が迫った小さな海峡。潮の干満の差により激しい流れが生ずる。
音戸の瀬戸はまさに「瀬戸」の模範解答のような海峡です。
海峡南端最狭部には赤いアーチ型の橋・音戸大橋がかかっており、本州側はループ式道路、音戸側は日本初のラセン型の高架橋となっています。
北端には2013年3月に開通した2番目の橋、第二音戸大橋がかかっています。
音戸の瀬戸は平安時代に日宋貿易の航路として、1167年に平清盛が開削したといわれています。この開削のことは、厳島神社に残る「史徴墨宝考証」のなかに「清盛音戸をして芸海の航路を便にし厳島詣に託して促す」と記されているそうです。
「日招き伝説」として開削にまつわる話が残っています。内容は次の通り。
『瀬戸開削の完成を間近に迎えた頃、引き潮を見はからって最後の作業が行なわれることになった。このタイミングに是が非でも完成させねばならず、清盛公の激励の下、作業は続けられた。
しかし、間に合わず夕日は西の空に傾き、足もとが暗くなりはじめた。
あともう少し陽があればと、清盛公は考えた。そして日迎山の岩頭に立ち、今にも沈まんとする太陽に向い、右手に金扇をかざし、日輪をさし招き「返せ、戻せ」とさけんだ。
すると不思議なことに沈もうとしていた太陽が戻り始めた!結果、見事その日のうちに工事を完成させた』
火事場の馬鹿力ではありませんが、人は窮地に立たされた時に信じられない力を発揮する事があります。
瀬戸際に立たされた時は音戸の瀬戸の「日招き伝説」を思い出し窮地から脱出しましょう!