20,000人の兵に対し3,500人。この戦、勝ち目はあるのか?
穏やかな海と大小の島々が風光明媚な景色を創り出す広島湾。厳島神社で有名な宮島もその風景を演出する島の一つ。年間400万人近くの観光客が訪れ賑わいを見せています。
今は平和なこの島ですが、約450年前には桶狭間の戦い、河越城の戦いと並び日本三大奇襲の一つとされる厳島の戦いが繰り広げられました。
そうです。奇襲戦と言う言葉から連想されたと思いますが3,500人の兵が20,000人の兵を打ち負かしました!
どのような戦いだったのでしょうか?
天文20年(1551年)中国・九州地方で権勢を振るっていた大内義隆(おおうちよしたか)はその家臣・陶晴賢(すえはるかた)の突然の謀反により滅亡。
大内氏と盟友関係にあった晴賢の政策に反発する毛利元就(もうりもとなり)は挙兵する事に。
戦力的に劣勢であった元就は平地での戦いを不利とみて、弘治(こうじ)元年(1555年)5月、宮島に戦場を求め島内に宮尾城を築きここへ陶軍20,000人の大軍をおびき寄せました。
同年9月、元就の兵は折からの暴風雨と夜陰に乗じ、島の裏側(宮尾城の後方に当たる)の包ヶ浦に上陸を果たします。この時、元就は上陸に使った舟を島に残さず全て対岸に戻させ、将兵に「後戻りはできない」という決死の覚悟をさせたと言われています。
背水の陣を自ら創り上げたと言う事ですね。
そして10月1日の早朝、山を越え陶軍が本陣を構える塔の岡を急襲!
更に、厳島神社の大鳥居側から元就の三男・小早川隆景(こばやかわたかかげ)と宮尾城の兵が加わり大激戦となります。そして、不意を突かれた陶軍は壊滅。
元就が勝利を収めます。
ところで広島湾を含む瀬戸内海は高度経済成長期には赤潮が頻発し瀕死の状態になりました。しかし近年劇的に回復の方向へ向かっています。
これは人も海の一員と考え、人間が手を加える事で生物の生産性や多様性を活性化させ生態系を維持する沿岸海域を地元の漁師さんやその関係者の方達が何年もかけて造り上げた事に起因します。
これを里海(さとうみ)と呼びます。
日本独特のこの方法は現在「SATOUMI」として世界に注目され、汚染や海洋資源の枯渇に悩む世界中の海の解決策として、導入が始まっています。
日本発のSATOUMIが世界の海を救う手段になっているとは嬉しい限りですね(^^)
宮島を訪れるともみじ饅頭と並ぶ広島名物の「カキ」や「あなごめし」が観光客の舌を楽しませてくれます。これもSATOUMIのおかげですね。
自然との共存共栄を図る事により大きな恩恵を受ける事が出来ると言う事の好事例ではないでしょうか。
かつては厳島の戦いの戦場となった海も今はSATOUMIと言う平和の象徴となりました。時勢の移り変わりを思い浮かべながらカキやあなごめしを堪能しましょう!
【Engllish WEB】
http://japan-history-travel.net/?p=5487