フランス出身の有名な印象派の画家クロード・モネの作品「積みわら」は収穫後の干し草の山を描いた連作群の総称です。
その中の一つ「積みわら-日没(夕陽)」は、ある絵の構図やグラデーションを研究して描かれているそうです。
その絵とは歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の「丸子宿(まりこしゅく、まりこじゅく)」です。
二つの絵を見比べると対象物は違いますが確かに似ていますね(^^)
↑「積みわら-日没(夕陽)」(フリー絵画・版画素材集よりコピー)
↑歌川広重の「鞠子宿」
国や文化が違っても優れたものの価値は不変と言うことなのでしょう。
東海道五十三次の20番目の宿場だった丸子宿(現静岡市駿河区丸子)は鞠子宿とも書き、東海道の中で一番小さな宿場町です。
↑現在の丸子宿
しかし、小さいからと言ってあなどってはいけません!
松尾芭蕉もここで「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」と句を詠んでいるんです。
↑松尾芭蕉の句碑
なぜとろろ汁なのか?
そうなんです!丸子宿は美味しいとろろ飯を食べる事の出来る宿場なのです。
広重の浮世絵に書かれているのは丁子屋(ちょうじや)と呼ばれるとろろ汁を名物にしているお食事処です。そして丁子屋さんは現在も営業しています!
↑丁子屋さん
それでは美味しいとろろ飯をお召し上がりくださいm(_ _)m
ところで、歌川広重、松尾芭蕉の作品に登場する丸子宿ですが、弥次喜多道中(やじきたどうちゅう)で有名な十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)の著した「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)にもしっかりと登場しています。
↑東海道中膝栗毛の碑
もっとも弥次さん喜多さんはとろろを作る夫婦の喧嘩に巻き添えを喰わされ、とろろ飯を食べていないそうですけど(^^)
ちなみに、当時はとろろ汁の原材料の自然薯(じねんじょ)が採れないシーズンは自然薯を天日に干し石臼で粉にしたものを寒製山薬と称し旅人の疲れや病み上がりの人を癒すための漢方薬として出していたそうです。
歌川広重、松尾芭蕉、十返舎一九。江戸期の文学三大タレントと呼ばれるこの3人に取り上げられるなんて丸子宿は小さくても凄い宿場だったんですね!
小さくてもあなどれない丸子宿へ行って弥次さん喜多さんが食べられなかったとろろ飯を食べにいきましょう!