豊臣秀吉が北条氏を倒した後、徳川家康は秀吉から北条氏の旧領を含む関東への移封を命じられました。
北条氏の兵が残る土地へ家康が入府するに前に警備活動の為、家康の小姓を務めていた内藤清成(ないとうきよなり)は鉄砲隊を率いて現在の新宿二丁目付近に布陣しました。
この功績が認められ、清成は付近一帯を拝領し内藤氏の中屋敷を構える事となりました。
徳川幕府が開かれた直後に五街道の一つとして定められた甲州街道。その起点となる日本橋から最初の宿場・高井戸までの距離が長かった為、中間地点に宿場を設ける事となりました。
その宿場は内藤氏が幕府に返上した屋敷跡に置かれました。そして新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれるようになりました。
そして現代。。。。。
新宿駅の一日の利用客数は約350万人で世界一!
かつての宿場町には超高層ビルが林立しています!
戦国時代以降、城の中心的建造物となった天守閣。当時の超高層建築だった事は間違いありません。当時の人で、その高さからの眺めを見ることの出来る人は限られていました。
幸せな事に現代の私たちは特権階級の人達しか見る事の出来なかった眺めより遥かに高い位置から、いつでも自由に見る事が出来ます。小さな幸せはどこにでも潜んでいる。そんな事を思いながら超高層ビルからの眺めを楽しませてもらいました。