「日本で最も美しい山城」「悲しくなるほど美しかった」
作家の故司馬遼太郎さんは紀行集「街道をゆく」でこのように称しています。
街を見守るように小高い山の上に佇む郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう:岐阜県郡上市八幡町)は遠藤盛数(えんどうもりかず)によって築城されました。
突然ですが「内助の功」で有名な山内一豊(やまうちかずとよ)の正室・千代(ちよ)の出自は明らかになっていません。
なぜこんな話を出したかと言いますと千代が遠藤盛数の娘とされる有力説があるからです。
郡上の市街にある慈恩禅寺(じいおんぜんじ)が所蔵する美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図に、遠藤盛数の娘が山内一豊の正室であるとの記載があることなどから有力視されています。
↑慈恩禅時
さて千代にゆかりのある(ありそうな)郡上八幡城ですが現在の天守は日本で最初(1933年(昭和8年))に建てられた木造の模擬天守です。城内にはゆかりの所蔵品が多数展示され城下町が一望できる絶景のスポットとなっています。
ところで千代の夫である一豊が出世の礎を築いた掛川城(かけがわじょう:静岡県掛川市)は日本で最初(1994年(平成6年))に建てられた木造復元天守です。
千代は木造にこだわっているんですかね(^^)
※模擬天守=城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したか不明な城に建てられた天守閣
※木造復元天守=天守が現存した当時の図面・文書記録・遺構などに基づき、当時使われていた材料(木材の種類)・構法・工法によって忠実に復元した天守閣。
↑山内一豊と千代の像
お城の重要な役割を果たす建物の一つに櫓(やぐら)がありますが櫓はお城だけに利用されているものではありません。他に芝居櫓、祭り櫓、太鼓櫓などがあります。
郡上でも櫓を別の用途で利用しています。
「踊りやぐら」です。やぐらでは「音頭とり」と「囃子方」が歌と伴奏を担います。
そうです。郡上は盆踊りの街です!
秋田県雄勝郡羽後町の西馬音内の盆踊、徳島県徳島市の阿波踊りと並び郡上おどりは「日本三大盆踊り」の一つに数えられています。
その起源は定かでないようですが飛騨の歴史が書かれた「飛州誌」には1595年(文禄4年)、朝鮮戦役の勝利を祝い領民が踊ったとの記載があるそうです。
また、遠藤盛数の長男・慶隆(よしたか)が奨励し、身分性別を問わず、踊りで配下の人民の融和を図ったことが現在の郡上おどりの礎となったようです。
しかし、封建色の濃い時代に身分性別を問わない方法を用いたことには感嘆しますね。
郡上踊りの最大の特徴は、その開催期間の長さにあるのではないでしょうか。7月中旬の「踊り始め」から9月初旬の「踊り納め」まで、実に1ヶ月以上にも及びます。
開催期間が長いとは言え、やはり参加出来ない方も大勢いると思います。ほんの少しですが郡上博覧館に行けばお踊りの実演が見られますよ(^^)
日常と異なる時間を過ごす事はストレス解消にもなります。機会があれば郡上八幡城下で踊りを踊って楽しい時間を過ごしましょう!