寿司、天ぷら、うどん、そば、焼き鳥。。。。。
お腹が減っている時に想像するとたまんないですよね~
2013年(平成25年)12月、和食がユネスコの世界無形文化遺産として登録さました。
では、和食とは何か?
静岡文化芸術大学学長・熊倉功夫(くまくらいさお)さんによれば「ご飯」「味噌汁」「お菜(おかず)」「漬物」この四つが和食の基本的な要素であり、これらが揃っていれば和食と言っていいだろうと言っています。
そして正確には分かっていませんが、これらの要素から成る食事が始まったのが平安時代ではないかと言う事です。
現代の日本ではこれらの要素が個々に進化し、世界にも類を見ない食文化を築き上げているのではないでしょうか?
和食は味だけでなく見た目においても進化しています。そしてレストランなどで食事を選ぶ際にどんな盛付で料理が出て来るのか知りたいところですよね。
そこで大活躍しているのが食品サンプルです!
この食品サンプルの生産量日本一、全国シェアの約60%を占めているのが郡上市(ぐじょうし:岐阜県)です。
日本に広く普及している食品サンプルの基礎を築いた岩崎瀧三(いわさきたきぞう)さんが郡上出身と言うのがその理由です。
郡上の八幡地区の町中を散策しているとお腹が減って来ます。そんな時に食品サンプルのお店に入ってしまったら、さー大変。食べたいのに食べられない美味しそうな食品サンプルが勢ぞろいです。
やはりお腹が減ったら実際の料理が食べたいですよね(^^)
食品サンプルは見た目で勝負ですが実際の料理は味も良くなくてはなりません。その決め手の一つは水です。綺麗な水であればあるほど料理は美味しくなります。郡上は水の豊かな町でもあります。
西行・芭蕉と並び「旅の三大詩人」と称される宗祇(そうぎ)は連歌の大成を目指すため、そんな水の町・郡上八幡の地を訪れました。
なぜ郡上だったのか?
郡上八幡城の築城主・遠藤盛数(えんどうもりかず)によって滅ぼされるまで郡上の領主であった東氏(とうし)の9代目・東常縁(とうつねより)から古今伝授(こきんでんじゅ)を受けるためだったのです。
↑郡上八幡城
古今伝授(こきんでんじゅ)・・・・・「古今和歌集」の解釈を始めそれに関連する分野の色々な学説を師から弟子へ秘説相承の形で伝授すること。
東氏は和歌の名門である藤原定家(ふじわらていか)の血を引く家柄だったのです。
郡上八幡の町中にはいくつもの水路が走り、水の町のシンボルとなる湧水の水場・宗祇水があります。
↑いがわこみち
↑やなか水のこみち
↑宗祇水
宗祇は郡上八幡の人々が生活の水として利用していた湧水の出ている泉のほとりに草庵を設けここの水を利用していました。ことから宗祇水と呼ばれるようになったそうです。そして宗祇水は現在も郡上八幡の方に利用され続けています。
宗祇も宗祇水で造られた美味しい食事をしていたのでしょうか。
でも、もし宗祇が現代にタイムスリップして食品サンプルの料理が出てきたら驚くでしょうね(^^)
例えコピーでも本物に近ければ近いほどその価値は高まります。スポーツでも絵画でもまずは真似ることから始めます。それがやがて自分のものとなり更に進化させることによって本物を越える可能性も出て来ます。
水の町・郡上八幡を訪問したら食品サンプルから真似ることの重要性を学んで下さいね♪
【English WEB site】
http://japan-history-travel.net/?p=4816