自分を覆う風景が日常から乖離した異空間となった時その刺激は心の中へ大きな波紋となって広がって行くでしょう。
ヨーロッパは日本人にとって見慣れた風景とは異なる空間を提供してくれる観光地の一つではないでしょうか?
ましてや現代のように視覚に訴えるメディアが存在しない時代にこの地へ訪れた時の衝撃は筆舌に尽しがたいものだったに違いありません。
今から400年以上前、九州キリシタン大名の大友宗麟(おおともそうりん)、大村純忠(おおむらすみただ)、有馬晴信(ありまはるのぶ)の名代として天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)が欧州へ派遣されました。
そのメンバー、伊東マンショ(13歳:日本出発時・以下同)、千々石(ちぢわ)ミゲル(13歳)、中浦ジュリアン(14歳)、原マルチノ(13歳)ら4人の少年は1584年ポルトガルのリスボン港に構える要塞・ベルンの塔に到着しました。
↑天正遣欧少年使節肖像画(京都大学付属図書館所蔵)
※右上・伊東。右下・千々石。左上・中浦。左下・原。中央・メスキータ神父。
↑ベルンの塔
記録によれば彼らはポルトガル滞在中にジェロニモス修道院やシントラ王宮などを訪れたようです。
↑ジェロニモス修道院
↑シントラ王宮
その後、マドリッドに移動し国王フェリペ2世に謁見後イタリアの首都ローマへ向かいます。
日本人観光客に人気のローマは「ローマは一日にして成らず」「すべての道はローマに通ず」などの諺にもなるほど栄え今も尚、多彩な見どころを持しています。少年達も同じ風景を見たのでしょうか?
↑トレヴィの泉
↑コロッセオ
↑スペイン広場
↑真実の口
さて、有名どころ満載のローマですが、そのローマで一番有名な人物は誰なのでしょうか?
それはローマ法王ではないでしょうか?
新しいローマ法王が選出される時には世界中が注目します。
法王を選出する際の選挙システムであるコンクラーヴェを取り上げたダン・ブラウン氏の小説「天使と悪魔」は映画にもなり話題を呼びましたね。
ストーリー中に出て来る美術品、建築物等々に関する記述は事実に基づいて書かれている為、ローマを訪れる際には参考になるかも知れません。
さて、天正遣欧少年使節の最終目的はそのローマ法王に謁見し宣教に関する援助を依頼する事。またキリスト教の本場で実際に見聞きし体験する事により帰国後の布教活動をより円滑にさせることにありました。
その目的を果たす為、サン・ピエトロ大聖堂へと出向いた少年達は遠い異国の地から来た事も手伝い大変な歓待を受けたそうです。
↑サン・ピエトロ大聖堂
現地の文献には 「ローマでは未曾有の最大行事の一つ」と記されるほどサン・ピエトロ広場には多くの一般見物人が数押しかけたようです。
↑サン・ピエトロ広場
少年達はサン・ピエトロ大聖堂に隣接するバチカン宮殿の帝王の間に通されローマ法王グレゴリオ13世に謁見し目的を果たしました(1585年)。
↑バチカン宮殿
目的を果たした少年達ですが、この一大イベントにおいて特筆すべきは日本人に対する評価の高さではなかったのかと思います。
少年達は流暢なラテン語で会話をし、オルガンやヴィオラなどの楽器を演奏するなど、その知性・教養の高さと礼儀正しさで西洋の人々を驚嘆させたそうです。
ここで重要な事は知性や教養に礼儀正しさが加えられている事ではないでしょうか。
現代においても日本人を高く評価して頂いている国は多くありますがそのレベルは低下しているように思えます。後世の日本人が他国から評価され続ける為にも礼儀作法に加え日頃の身の振る舞いには注意するよう心がけたいものです。
ところで少年達の行く末ですが良い境遇には恵まれなかったようです。
彼らが帰国した頃の日本はキリスト教に対する圧制が本格化しており少年達もその荒波に抗うことは出来ませんでした。
伊藤マンショは43歳で病死。千々岩ミゲルは35歳頃棄教。原マルティノはマカオへ逃亡し現地で病死。中浦ジュリアンに至っては穴吊りの刑で殉教しています。
命がけでローマまで旅をした少年達の過酷な行く末を思うと心が痛む限りです。
さて、天正遣欧少年使節は日本人で初めてヨーロッパへ渡りローマ法王と謁見したと紹介される事もあるようですが今回はもう一歩踏み込んで話を進めたいと思います。
実は天正遣欧少年使節より30年前にローマ法王に謁見した人物がいます。
この人物は皆さんご存じの日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルから最初に洗礼を受けた日本人です。と言う事は日本人で最初のキリスト教信者と言う事になりますね。
彼の名はベルナルド。鹿児島出身でイエズス会の記録にこの洗礼名のみ記載され日本名は知られていません。
記録によるとベルナルドは1555年ローマ法王パウルス4世に謁見。その後1557年ポルトガルのコインブラで病死しています。
ちなみに鹿児島のザビエル公園内にあるザビエル像の横に彼の像が建てられています。鹿児島へ訪れた際には寄ってみて下さいね。
天正遣欧少年使節の4人の少年達。そしてベルナルド。彼らはどのような面持ちでヨーロッパへ向かったのでしょうか。その心境は計り知れません。
今から400年以上前の交通機関が発達していない時代にヨーロッパへ渡った彼らの勇気と行動に敬意を評したいと思います。