近代的な街並みを形成する高層ビル。
それに抗うかのようにレトロな容姿を携えている建築物。
故に建物の高さで言えば本来なら目立たない存在が周辺で一番目立つ存在となっています。
建築家・辰野金吾(たつのきんご)によって設計された赤レンガの瀟洒な造りの建物は1914年(大正3年)に「東京駅」の名称で営業を開始し2014年に開業100年を迎えました。
因みに東京駅の写真を撮影するのであれば丸の内南口前にある日本郵便が運営する商業施設「KITTE(キッテ)」の6階テラスへ行く事をお勧めします。
↑KITTE
↑KITTEからみた東京駅
日本一のプラットホームの数を誇る東京駅は首都の玄関口として開業以来多くの人が様々な目的でここから各地へ向かい、また各地から足を踏み入れ、そして数多くの歴史をその床に刻み込んで来ました。
1921年(大正10年)11月4日。時の内閣総理大臣・原敬(はらたかし)もその一人として京都で開かれる政友会京都支部大会に出席のため、東京駅の改札口へと向かっていました。
事件は突然訪れます。
1人の青年が短刀を手に原首相へ襲いかかり右胸部を刺しました。すぐに手当てを受けますが命を落としてしまいます。
政友会内閣の強引な政策への不満に対しての犯行でした。
原首相の遭難現場は丸の内南口の改札近くに歴史の1ページとして刻まれています。
↑丸の内南口
↑原首相遭難現場
更に9年後の1930年(昭和5年)。岡山で行われる陸軍特別大演習参観へ向かうためプラットホームを歩いていた内閣総理大臣・浜口雄幸(はまぐちおさち)が銃弾に倒れます。その場での命は取りとめたものの約10ヶ月後の1931年(昭和6年)8月26日、帰らぬ人となりました。
ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことによる不満からの犯行と言われています。
そして浜口首相の遭難現場もまた歴史の1ページとして中央通路の一角に刻まれています。
↑浜口首相遭難現場
激動の大正~昭和初期の歴史が今の平和な時代の礎になった事を忘れてはいけませんね。
さて、暗い話題を続けてしまいましたので明るい話題に移りましょう。
1964年(昭和39年)10月1日。東京駅開業から50年後に日本人の誇りが東京駅から発車(発射)しています。
そうです東海道新幹線の開業です!
2014年に開業100年を迎えた東京駅は同時に新幹線の開業50年を迎えたということです。
↑18・19番線のプラットホームに行くと0キロポストの印を見ることが出来ます
新幹線と言えば何と言ってもそのスピードが売りです。
ところが「ギネスブック公認の停車駅間における営業列車の平均速度記録」を見るとフランスのTGVに負けています(2015年10月現在)。
しかしながら以下の内容を読んで頂ければ新幹線が世界一の鉄道であることは疑いの余地がないことを分かって頂けるはずです。
鉄道発祥の国イギリスで鉄道を利用する場合、時間遅れは当たり前のように起きます。他の国でも同じようなものです。
一方、日本の鉄道においては数分刻みでの発着があるにも関わらず特別な事が無い限り遅れは発生しません。
東京駅発の東海道新幹線の時刻表を見ると一番多い時間帯では1時間に20本、つまり3分に1本と言う事になります。
少しでも時間が遅れればダイヤは乱れてしまいます。
そしてTGVとの比較です。
TGV:10両編成。定員516人
新幹線(N700系):16両編成。定員1,323人
どうでしょうか?
1度に1,300人を運ぶ事が可能であり世界トップレベルの速度で走行する新幹線を3分刻みで運航させ開業以来無事故を続けている新幹線はやはり世界一でしょう。
日本人はこのような鉄道を敗戦から19年後に築き上げました。
現代の日本人は先人が残してくれた努力と勤勉さを改めて見習う必要があるのではないでしょうか。
最後になりますが東海道新幹線を利用して東京駅に乗降する機会がありましたら是非見て頂きたいものがあります。
18・19番ホームの真下。ホーム中ほどの階段を降りたところにある新幹線記念碑です。
そこにはこう書かれています。
「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」
【English WEB site】
http://japan-history-travel.net/?p=4996