オヤジギャグが松江城を守った!?

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松江城

松江城(島根県)を囲む堀と四方を流れる川は豊富な水を湛え戦国時代には強固な守りの要となっていた事でしょう。

01 松江城 平和な現在においてはこれらの堀や川を「堀川めぐり」として小舟で周ることが出来ます。

02 堀川めぐり舟から見る景色は日常で見る景色とは異なり慌ただしい日常から解放させてくれるのではないでしょうか。

03 堀川めぐり

04 堀川めぐり

05 堀川めぐり

また、堀と川は当時の姿を今に残したいがために城郭の外側からの時間の流入も遮断して来たのでしょう。

時折、堀の向こう側に顔を見せる松江城は大きな屋根の上に櫓(やぐら)が乗っている「望楼型」と呼ばれる天守構造をしています。

06 松江城

この構造は近世城郭の中でも古い形式のものであり日本に残っている大型天守で唯一その原型を残しています

07 松江城優美で堂々とした構えからどことなく洒落た印象を受けるのも松江城が近世城郭の初期の姿を留めているからでしょう。

ところで洒落の意味を調べるとその一つに「(多く「お洒落」の形で用いる)気のきいた身なりをすること。華やかに装うこと。」と出ていますが洒落の頭に「駄」を付け加えると「駄洒落(だじゃれ)」となり、洒落とはだいぶイメージの異なる言葉となります。

駄洒落を辞書で調べると「同じ或いは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び」と説明されていますが現在では駄洒落=オヤジギャグのような扱をされ少々ダサい表現を示す言葉になっていますね(^^;

ところが、このオヤジギャグ=駄洒落が松江城を守ったと言っても過言ではありません。

松江城は豊臣秀吉、徳川家康の二人の天下人に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)により築城が開始されました。

08 堀尾吉晴の像↑堀尾吉晴の像

しかし天守台の工事に取り掛かると石垣を何度積んでも崩落するという事態が発生します。

そこで家臣達が出した案が盆踊りに集まった人達の中から踊りが上手で美しい娘を見つけ出し人柱にすると言うものでした。

その案は実行に移され天守は完成します。

09 松江城ところがその後、城下で盆踊りをすると天守が揺れるという怪奇現象が起きます。

その原因は人柱にされた娘の祟りだとのうわさが領内に広まり、それ以来松江では盆踊りを踊らなくなったそうです。松江の城下町エリアでは今でも盆踊りはしないそうですが、その理由はこの伝説に由来しています。

話は更に続きます。

松江城は1611年に完成していますが完成を待たずして堀尾吉晴が死去。

その後、吉晴の孫の忠晴(ただはる)が城主となったが後継のいないまま死去したため堀尾家は断絶となりました。

続いて城主となった京極忠高(きょうごくただたか)にも後継がいなかったために京極家は改易となり代わって徳川家康の孫に当たる松平直政(まつだいらなおまさ)が城主になりました。

10 松平直政の像↑松平直政の像

そして直政が塔城した時に事件は起きます。

天守の最上階に登った直政の前に築城時に人柱となった娘の亡霊が現れたのです。

直政が「お前は誰だ」と問うと、亡霊は直政を睨みつけながら「この城の主だ。この城は私のものだ」と答えました。

これを聞いた直政は「わかった。それでは明日、この城をそなたにくれてやろう」と答えたそうです。

翌日、湖で取れたコノシロ(この城)を備えたところ亡霊が現れる事は無くなり、以降松平家の城主の座は幕末まで10代続きました。

嘘か誠か分かりませんがオヤジギャグ=駄洒落が亡霊から城を守ったと言う事ですね(^^;

直政が準備したコノシロは松江城の目と鼻の先にある宍道湖(しんじこ)で獲ったと思われますが面白い事に島根県ではコノシロを食べる習慣がなく、宍道湖のコノシロはほとんど利用されていないそうです(^^)

11 宍道湖↑宍道湖

松江城を亡霊から守ってくれたコノシロを食べるなんてことはしないと言うことですかね?

世の中、どんな問題が起き、それが何によって救われるかは分かりません。常日頃からそう思っていれば何か問題が発生した時に案外早く解決策を見つけることが出来るかもしれませんね。

2015年7月に姫路城、松本城、彦根城、犬山城に続き日本で5つ目の国宝の城となった松江城を訪問して問題解決策の見つけ方を学びましょう!

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