食のテーマパーク横浜中華街で美味しい中華料理を腹一杯食べましょう!

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横浜中華街

非日常的な風景や体験はそれが心地よいものであれば脳は楽しみに満たされ開放感に浸る事ができるでしょう。

特定の物語や時代、文化などのコンセプトに人々の好奇心を掻き立てるような工夫を織り込んだ観光施設をテーマパークと呼びます。

有名なところでは東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパンがありますね。

赤、青、黄、緑、そして金。

街は原色によって彩られ日本人にとっては非日常的な風景を創り出しています。

横浜中華街です!

01 横浜中華街

ここもテーマパークの一つと言えるのではないでしょうか。

中華街はニューヨーク、ロンドン、シドニー等々世界中に有りますがこれらの中華街は中国人が買物や食事などをする中国人の生活のための中華街であるのに対し、横浜中華街は日本人を含めた来外者の為の中華街です。

と言うのも来外者の約95%が中国人以外の観光客だからです。

観光客は横浜中華街で中華料理を楽しむのはもちろんの事、そこでの雰囲気や非日常を求めて足を運んでいるのではないでしょうか。正にテーマパークと呼べますね。

02 横浜中華街

ではそのテーマパークがどのように築かれたのか横浜中華街の歴史と共に見て行きましょう。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」

黒船来航によって当時の日本人がいかに驚いたか、その様子を風刺した有名な狂歌ですね。

ペリー来航(1853年)です。

翌年の1854年に日米和親条約が締結されると貿易の為に欧米から商人が訪れるようになり横浜に外国人居留地が設けられました。

この時、通訳やスタッフとして商人と一緒にやって来た中国人も外国人居留地に住むようになりました。

これが横浜中華街の始まりです。

因みに、中華街の外から中華街エリアに入ると一瞬方向感覚を失います。

これは中華街を走る道筋の角度がその周りの道筋と約45度ズレている為です。

03 横浜中華街(Googleマップ)

↑Googleマップで見た横浜中華街(赤線枠内)

横浜中華街が風水の考えを取り入れて造られたと言う説があるようですが実際のところは元々この地にあった横浜村の田畑の区画に沿って造成された、つまり横浜村の角度が現在の横浜中華街の角度だったというのが本当の理由のようです。

このように始まった横浜中華街ですが、その後中国人の住む街ならではの事象が起こる中で幾多の存亡の危機を乗り越えて現在に至っています。

その一部に目を通して見ましょう。

1895年(明治28年)、中国革命の父と呼ばれる孫文は日本での活動拠点を横浜とし日本に亡命。そのほとんどの時間を横浜中華街で過ごしています。

1923年(大正12年)、関東大震災により壊滅的被害を受けますが驚異的なスピードで回復させています。しかし、その後、日本と中国の関係は悪化。第二次世界大戦に向けて横浜中華街は日本と中国の狭間で苦悩の時を過ごすことになります。

1945年(昭和20年)、横浜大空襲により再び焼け野原となります。日本が敗戦すると街の復興を進める過程において戦勝国である中国人の街を日本の統制下に置くのは難しく闇市、麻薬の密輸・密売、売春等がはびこる治外法権の危険な街となりました。

横浜中華街が現在のようなテーマパーク的要素を持ち始めたのは「牌楼(ぱいろう)」の建設からと言えるでしょう。

1955(昭和30)年、中華街大通りの入り口に「中華街」と書かれた牌楼が建設されました。これによりこれまで唐人街、南京街などと呼ばれていた街は次第に「中華街」と呼ばれるようになります。

04 横浜中華街_牌楼

05 横浜中華街

↑牌楼

以上のような歴史の中で戦後の横浜中華街に常に付いて回ったのが中国共産党系の住民(中国大陸系住民)と中国国民党系の住民(台湾系住民)との対立です。

しかし、ある事件がきっかけとなり雪が溶け始めます。

1986年(昭和61年)の関帝廟(かんていびょう)の炎上です。

関帝廟とは三国志に出てくる関羽(かんう)を祀った廟です。関羽は勇猛果敢な武将のイメージがある一方、心優しく弱い民衆の味方であり「義」を重んじる人物であったことから中国人の間では商売の神様として崇められています。

焼けてしまった関帝廟は対立していた両者が話し合いの場を持つ事で協力し合って再建されました(1990年開廟)。

06 横浜中華街_関帝廟

↑関帝廟

まさに関帝廟の炎が(関羽の義の熱が)対立する住民の心を溶かしたと言えますね。

この事は海の神様「媽祖廟(まそびょう)」(2006年開廟)の建設へと繋がります。

07 横浜中華街_媽祖廟

↑媽祖廟

横浜中華街の住人がかねてから希望していた媽祖廟の建設にかかろうとした際にその土地が既に高層マンションの建設予定地として買収されていた事が発覚します。

中華街に高層マンションが建設されてしまうと観光客にとって非日常的な街の景観が損なわれます。行政に訴えましたが日本の法律上どうする事も出来ません。

そこで取った方法が土地の買収費用と媽祖廟の建設費用合わせて18億円を横浜中華街の住人が一体となって30年間支払い続けると言うものです。

凄いですね。街に対する思いが伝わります。

如何でしたか?

食のテーマパークとなる現在までの横浜中華街の歴史を紐解くと再生と融合と進化の歴史を辿って来た事が伺い知れますね。

ところで融合と進化と言えば何と言っても横浜中華街の主役である中華料理ではないでしょうか。

横浜中華街の中華料理は本場の中華料理の味と日本人の舌に合う味を融合させ進化させることにより美味しい味を探求し続けています。

08 横浜中華街_中華料理

09 横浜中華街_中華料理

私達観光客が横浜中華街で非日常的なテーマパークの感覚を味会う事が出来るのも高層マンション建設の阻止しかり、今も昔も住人の方達の尽力により街が維持継続されているからです。

美味しい中華料理を腹一杯食べて街の存続に貢献しましょう!

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