遠州の小京都・森町の小國神社と大洞院は「振る」が共通項?

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人はその場所に漂う雰囲気を敏感に感じ取る事があります。

明治時代の地理学者、志賀重昂(しがしげたか)もそれを感じ取ったのでしょう。日本の風景の魅力を発信した彼の著書「日本風景論」の中で静岡県の森町(もりまち)を「遠州の小京都」と謳っています。

その森町の中で中心となるスポットが小國神社(おくにじんじゃ)です。鳥居をくぐり抜けると参道の両側に高く聳え立つ杉の木々。神秘的な深緑に覆われた事待池(ことまちいけ)。そして参道の奥に鎮座する大社造りの荘厳な社殿群。

小京都の中心的存在として輝いていますね。

小國神社の創建は不明ですが社伝によれば6世紀頃に社殿が建てられたとされています。

戦国時代には徳川家康が治めていた遠州の地に武田信玄が侵攻して来た際、家康に味方した事から廃れていた社殿が再建され、その後江戸時代を通して歴代将軍によって社殿の造営や営繕、社領の寄進が行われて来たそうです。

最近では県内外から多くの人達が訪れる「パワースポット」として注目されています。

小國神社ではそのパワースポットの恩恵を得て金運を増幅させる事が出来るかもしれません。

その理由は小国神社の主祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)にあります。

大己貴命の別名は大国主命(おおくにぬしのみこと)です。

大国主命とは因幡の白兎の物語で知られている大黒様のことです。そして大黒様と言えば「打ち出の小槌」ですね。

打ち出の小槌は振ることにより様々な物が出てくるとされる伝説上の槌(つち)です。

パワースポットに打ち出の小槌と来たら鬼に金棒ではないですが富をもたらしてくれる事間違いありませんね。

境内にも大きな打ち出の小槌が置かれていますのでご利益のあるようにお参りしましょう!ところで打ち出の小槌は小槌を振るだけで富を得る事が出来ますが小國神社の創建と想定される時代から約100年後にサイコロを振るだけで富を得る事が出来るゲームが流行りました。

しかし、ゲームと言ってもギャンブルなのでリスクも大きく負ければ損をしてしまいます。

そのゲームとは双六です。但し、サイコロを振って出た目に従って升目にある駒を進めて上がりに近づける双六ではなく二人で対戦するバックギャモンと呼ばれる盤双六(ばんすごろく)です。

日本書紀には天武天皇が公卿らの前で盤双六の遊び方を説明・紹介した事が書かれています。この時に使用したものかどうかは分かりませんが正倉院には日本最古の双六盤が保管されていると言う事です。

盤双六は大変な人気となり、その行き過ぎからなのか天武天皇が崩御して4年後の689年に持統天皇が盤双六は賭博の一種であるとして日本で最初の賭博禁止令である「双六禁止令」を発布しています。

ちなみに持統天皇は天武天皇の奥さんです。そんな事からギャンブルに夢中になりすぎた夫に悩まされた経験から双六禁止令を出したのではと推測する人もいます。

この「双六禁止令」、なんと現代も発令中のようです!?

と言うのは2016年12月、カジノ法案を審議した衆院内閣委員会で共産党の衆議院議員が「あなた方は天皇が決めたことを破るんですか」「とばく禁止は持統天皇以来、689年の双六禁止令に始まる。近代法にも受け継がれている」と指摘して自民党を批判したそうです(笑)

話が逸れてしまいましが、ギャンブルと言えば森町には欠かせない場所があります。

それは大洞院です。

↑大洞院

大洞院は室町幕府4代将軍足利義持が寄進して建てられた曹洞宗のお寺ですがここには参拝客に削られて原型を止める事が出来なくなり2代目を建立したのですが盗難に会い紛失し、現在3代目となるお墓があります(ちなみに2代目は天竜川で見つかり3代目のお墓の近くに設置されています)。

なぜ削られてしまうのでしょうか?

この墓の石を持っていると「商売繁盛」「勝負強い」との風評が流れ、これが要因で墓が削られるようになったと言う事です。2代目のお墓は欲張りな人が削らずにそのまま持って行ってしまったと言うことでしょうかね(笑)。

現在の墓石(3代目)は削られないようにアフリカ産の硬い黒御影石を使用。更には別で石が販売されています。対策は万全に整えられていると行ったところですね。

では、このお墓は誰のお墓なのでしょうか?

その答えは「森町」にあります。

答えは森の石松です!

↑森の石松の墓(3代目)↑森の石松の墓(2代目)

森の石松の森は森町の森に由来しています。

森の石松は幕末期に活躍したとされる侠客であり清水次郎長の子分です。講談や浪花節では肝が据わり腕も強い。剣術は一流。普段は酒飲みで荒くれ者。しかし、義理人情に厚く弱者の味方として描かれています。↑森の石松愛用の合羽(大洞院蔵)

石松の出生地については定かになっていませんがその1つの説が森町なのです。

森町にいた五郎と言う侠客が同じく森町の天宮神社(あめのみやじんじゃ)の境内で孤児となっていた石松を拾い育てたと伝えられているそうです。

↑天宮神社

ところで、石松の墓の石を持っていると勝負強くなると言う事ですが石松自身はどうだったのでしょうか?

石松には温泉地の賭場でいんちきサイコロを使って100両儲けたと思ったら翌日以降300両負けたという話が残っています。

勝負強いとは言えないかもしれませんね(笑)

とは言え、石松もサイコロを振っていますから森町は「振る」がキーワードかもしれません。

遠州の小京都で打ち出の小槌とサイコロを振って勝負運を掴みたいですね。

ギャンブルは度を越すと身を滅ぼしますが適度に行えば楽しい娯楽です。ギャンブルに限らず何事も適度に行う事を心がけましょう。

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