Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)、Hermès(エルメス)、Cartier(カルティエ)などの世界的有名ブランドが育まれる資質を兼ね備えた街・パリ。
その街に住む人達の奢侈品に対する目は肥えている事でしょう。
そんなパリで1867年に開催されたパリ万国博覧会に当時決して豊かとは言えない極東の田舎国家・日本が出展に挑みました。
これが日本の万国博覧会への初の出展です。
この頃の日本は明治維新直前の幕末。まだ日本国としての体を成していない状態でした。
江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩からそれぞれ出展すると言う形式が採られ、中でも薩摩藩は幕府の抗議を無視して「日本薩摩琉球国太守政府」の名で幕府とは別に展示をしました。
薩摩の展示品は琉球産物や調度品など128品目、約400箱にのぼり、その中でも特に注目を浴びたのが薩摩焼の陶芸品です。
薩摩焼は大きく黒薩摩と白薩摩の二種類に分けられます。
黒薩摩は黒もんと呼ばれ大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器です。鉄分を多く含む土を利用し、釉薬も色味のついたものを使用するため黒くなります。
一方の白薩摩は白もんと呼ばれ白っぽい土を利用します。釉薬も透明な釉薬を使用し陶器を焼く時に表面に入る貫入(かんにゅう)という細かなヒビが特徴です。白薩摩は藩や島津家だけが使用し、一般の人の目には触れることがありませんでした。
パリ万国博覧会では白地に赤や青、緑、金などに彩られた豪華絢爛な絵の施された白薩摩が高い評価を受けSATSUMAの名で知れ渡るようになります。
このような理由もあり白薩摩は主に海外向けに出荷された為、日本国内に広がる事はありませんでした。
そのような白薩摩を蒐集して展示されている場所が砂蒸し風呂で有名な鹿児島県指宿市にあります。
薩摩伝承館です。
↑薩摩伝承館
それでは海外の人々を酔わせた優美で凛とした白薩摩のコレクションを見てみましょう。
↑薩摩伝承館の白薩摩
豪華さに溜息が出ますね(は〜)。
さて、話をパリ万国博覧会へ戻しましょう。パリ万国博覧会の開催年は1867年4月1日から11月3日まででした。1867年と言えば日本で歴史的変換点となる変事が起きています。しかもそれはパリ万博開催直後の11月9日です。
大政奉還です。
そしてその前年の1866年は薩長同盟が締結された年です。
ここに薩摩藩が幕府の抗議を無視して日本薩摩琉球国太守政府としてパリ万国博覧会に出展した真意が見て取れます。
江戸幕府はパリ万国博覧会を日本が国際舞台にデビューする重要な機会とし、日本を統治する支配者は自分達である事を示す場所と位置付けていました。
薩摩藩はそれを阻止し、自分達の存在を世界に知れ渡らせる事にあったわけです。
当時の万国博覧会は1国につき1出展が原則であった為、薩摩藩の目的は達成したと言えるでしょう。
更にはSATSUMAの名で有名になった白薩摩は海外に輸出され薩摩藩の重要な資金源となりました。
白薩摩は日本の歴史の変換点における重要なアイテムの1つだったと言えますね。
白薩摩に限らず何にでも言える事ですがその時代背景を知った上でその物を見るとその物の本当の価値が見えて来るのではないでしょうか?
SATSUMA(白薩摩)は日本の歴史の変化点に携わる事によってLouis Vuitton(ルイ・ヴィトン)、Hermès(エルメス)、Cartier(カルティエ)に肩を並べるブラドの地位を得たと言えるでしょう。
いや、それ以上かもしれません。
Louis Vuittonはこの時のパリ万博博覧会で銅メダルを獲得し、これにより世界的な評判を得る事になったそうです。
Louis Vuittonと言えばモノグラムの柄ですよね。↑Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)のモノグラムの柄
その中に丸の中に星がデザインされたマークがありますね。このマーク、薩摩藩の当主島津家の家紋からとったものだそうです。
↑(島津家の家紋「丸に十字」/出展:ウィキペディア)
パリ万国博覧会に訪れたLouis Vuittonの関係者が島津家の家紋の入った品々を見て家紋に触発されてモノグラムのデザインを考案したと言われています。
Louis Vuittonは日本人に人気のブランドの1つですが知らず知らずのうちに日本の家紋のデザインに魅かれているのかもしれませんね(笑)
薩摩伝承館に訪れた際はLouis Vuittonの価値までも高めた白薩摩を是非鑑賞して下さい!