西暦79年ヴェスヴィオ火山の大噴火により当時1万人とも2万人とも言われた南麓の町ポンペイ(イタリア)は火山礫と火山灰にの下に埋もれてしまいました。この古代都市は18世紀半ばから発掘調査が始まり、およそ1700年の眠りから目覚めました。世界的に有名なこの遺跡には毎年約250万の観光客が訪れています。
こんなポンペイの町の日本版と言えるのが一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき:福井県福井市)です!
織田信長との戦いで敗れた朝倉氏は滅亡。最盛期の人口は1万人を超え越前の中心地として栄えていた城下町は焼き討ちに会い、その後、土の下にそっくり埋もれて来ました。昭和42年(1967年)から発掘調査が始まり、現在は国の特別史跡に指定され敷地面積は東西約500メートル、南北約3キロメートルに及びます。
どうですか?正に日本版ポンペイの遺跡と思いませんか?
史跡内は整備され一部は城下町が再現され(復原町並)当時の雰囲気を体験する事が出来ます。
その他、越前朝倉氏第5代当主朝倉義景(あさくらよしかげ)が住んだ義影館跡、義影の墓、特別名勝に指定されている諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園の四庭園、等々見どころ満載です!
朝倉氏は但馬国(現在の兵庫県北部)を拠点とした豪族で、南北朝時代に朝倉広景(あさくらひろかげ)が主家の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。室町時代には朝倉孝景(あさくらたかかげ)が甲斐氏とともに主である斯波氏と対立し、その後応仁の乱で甲斐氏を追放して越前を平定します。以降、越前朝倉氏は孝景、氏景、貞景、孝景(祖父に当たる孝景と同名)、義景と5代103年間に渡り栄華を誇りました。
しかし、5代当主義景は天下統一を進める織田信長と対立する事となり姉川の戦いで激突し敗戦。その後、和睦するも、度々敵対し、遂に天正元年(1573年)3万の兵を率いる信長との一乗谷の戦い(刀根坂の戦い(とねざかのたたかい))で敗れ、一乗谷炎上!
栄華を誇った一乗谷の町は土に埋もれる事に。
いくら繁栄していても、いつ衰退するのか分からないと言う事ですね。驕らず謙虚に生きましょう。
誰の目にも触れられる事なく眠り続け約400年の年を経だてて復活した町。戦国時代の戦いの中で突然消滅した街の跡をこれだけの規模で見ることの出来る場所は日本でここだけかも知れません。ポンペイまで行くのは難しいかもしれませんが一乗谷朝倉氏遺跡は日本国内です。機会があれば是非訪れて見て下さい。
【English WEB site】
http://japan-history-travel.net/?p=5112
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