もみじ饅頭の考案者は誰なのか?

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宮島のもみじ

松島、天橋立と並び日本三景の一つとして知られる宮島(広島県)。

正式名称は厳島。宮島と言う呼称は江戸時代以降のもので、文字どおり「お宮(厳島神社)のある島」という意味だそうです。

宮島には厳島神社をメインに見どころは満載ですが、牡蠣(かき)や穴子めし、もみじ饅頭と言ったグルメも同時に楽しむ事が出来ます。

特にもみじ饅頭は広島土産の代名詞にもなっていると言っても過言ではないくらい有名です。

もみじ饅頭の材料は小麦粉・卵・砂糖・蜂蜜です。それをモミジ形の型に入れ餡を包み込み焼き上げます。かつては型を手で押さえ一つ一つ焼きあげていたそうですが、今は広島市内の業者が「もみじ饅頭焼成機」を開発して大量生産が可能になりました。機械が型を次々に回転させてもみじ饅頭を作り上げます。

もみじ饅頭誕生当初の中身はこしあんのみでしたが、今ではチョコや抹茶、チーズなどがありバラエティーに富んでいます。大量生産化しかり、もみじ饅頭も進化し続けていると言う事ですね(^^)

最近では「生もみじ饅頭」と言うのも人気があるようです。実際に食べてみたのですがモチモチした食感で美味しかったです。

ところで、なぜ?宮島でもみじ饅頭が生まれたのでしょうか?

その一つの説として有名な歴史上の人物が関わっています!

誰だと思いますか?

それは日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文です!

伊藤博文は厳島びいきで、島に滞在する事も多かったようです。

そして、もみじ饅頭の誕生起源について広く知られているのが伊藤博文冗談説であり、以下のような内容です。

『伊藤博文が宮島の老舗旅館岩惣で休憩していたおり、給仕した娘の手を見て「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した』

実際のところ、このような記録は残っていないそうですが宮島観光協会も由来として掲げるほど受入れらている説と言う事です。

さて、もみじと言えば紅葉狩りですね。

日本ではいつ頃から紅葉狩りが始まったのでしょうか?

古くは平安時代、「万葉集」「源氏物語」にも出て来るようですが、今のように行楽として賑わいをみせるものではなかったようです。

行楽としてブームとなったのは江戸時代中期ごろ。『都名勝図会』などの名所案内本が出回るようになります。ここに紅葉の名所が紹介されると口火が切られ行楽としてのブームが始まったと言う事です。昔も今も変りませんね(^^)

狩りと言うのは「きのこ狩り」や「猪狩り」のように山へ赴いてする行為です。このような事から紅葉した赤い葉を山で拾い集めたことなどから「紅葉狩り」になったと推測されるようです。

最近は日本でもハロウィーンが年中行事の一つとなりつつあります。紅葉狩りも江戸時代にブームとなり今に至っています。毎年の事なので一度流れに乗って定着してしまえば継続されて何百年も続いてしまうと言うことでしょうか。

バレンタインもそうですけど昔から日本人は何でも年中行事化してしまう習性があるんですかね(笑)

【English WEB】
http://japan-history-travel.net/?p=5471

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