歴史書に一切記されておらず、真相は未だに解明されていない謎の山城。
その城の名前は「鬼ノ城」
鬼ノ城(岡山県総社市)はその名の通り桃太郎伝説で鬼の居城として登場します。ただし読み方は鬼ノ城と書いて「きのじょう」と呼びますのでご注意を。「おにのしろ」ではないですよ(^^)
謎に包まれてはいるもののある程度の推測はされています。
鬼ノ城は考古学上「古代山城」に属します。古代山城とは朝鮮半島にあった国々の山城と類似点が見られ飛鳥時代から奈良時代に築かれた山城の事を指します。
天智2年(663年)、倭国・百済(くだら)連合軍と唐・新羅(しらぎ)連合軍が朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で戦った争いが白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)です。そしてその後、唐・新羅の侵攻に備えて各地に築城されたのが古代山城と考えられています。
鬼ノ城もこれらの防衛施設の一つとして位置付けられているようです。しかし、推測の域を脱してはいません。
以下はその神秘性を増長させてくれます。説明を続けましょう。
特に日本書紀などには西日本の要所に12の古代山城を築いたと記されているようですが鬼ノ城はその12の城には含まれていないそうです。そして冒頭でも説明しましたが、その他の歴史書にも一切出て来ないと言う事です。このように歴史書に残されていない山城は神籠石(こうごいし)式山城と呼ばれ、日本各地で16城発見されているそうです。
謎は深まりますね~
さて、歴史書に記録されていない鬼ノ城ですが「鬼ノ城縁起」などの後の文献には出ているようです。それは温羅(うら)伝説と呼ばれ桃太郎伝説にもつながっています。
その内容は『異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・』と言うものです。
歴史書にも出て来ない鬼ノ城と物語の中のヒーロー桃太郎。この2つの組み合わせは想像を掻き立ててくれます。
歴史に限らず世の中にはまだまだ解明されていない事は山ほど有ります。不思議な現象もまだ現代の科学がそれを解明するだけのレベルに達していないだけと考える事が出来るかもしれません。そのような視点で物事を見て視野を広げたいものですね。
鬼ノ城までの道は細く、車一台通るのがやっとです。こんな事を書いてしまうと何だか本当に「おにのしろ」に行くような感じがしてしまうのですが、そこはご安心を。鬼ノ城周辺は綺麗に整備されておりビジターセンターの展示室には鬼ノ城のことがパネルや模型を使って分かり易く紹介されています。
そして何よりも標高400mの展望台からの眺めは岡山平野を一望する事が出来て絶景です!
鬼もこの景色も見ていたのでしょうか?
鬼ノ城へ行って鬼の気分(?)を味わいましょう!
【English WEB】