久保田城の城下町に住む秋田美人

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千秋公園_久保田城跡_御隅櫓

秋田と聞いて最初に何を思い浮かべますか?

なまはげ、きりたんぽ、田沢湖八郎潟、稲庭うどん、しょっつる、比内地鶏、それとも秋田犬、もしくは竿頭まつり

男性の場合、真っ先に思い浮かべるのが秋田美人ではないでしょうか(^^;

01 秋田美人

なぜ秋田には美人が多いと言われるのでしょう?

少し調べただけでも以下の説がありました。

◆ 秋田県は全国一日照時間が短い県。一番多い山梨県の2,249時間に対し秋田県は1,453時間。そのため紫外線の影響を受けにくく色白の人が多い。

◆ かつて、日本海沿岸・シベリア沿岸・朝鮮半島を結ぶ渡航ルートが存在し、ロシアやヨーロッパから渡来した人が秋田に住み着いた。実際に秋田県民の10%は白人しか持ってないウイルスを遺伝的に持っていると立証されている

◆ 秋田県は温泉が多く県北から県南、沿岸から内陸とほぼ全域に分布している。全国的に有名な乳頭温泉や玉川温泉などを含め大きく分類しても30ヶ所以上存在しているため温泉による美容効果を受ける機会が多い。

◆ 明治~昭和にかけて小阪・阿仁・尾去沢など秋田では鉱山産業が盛んだった。その頃に日本各地から秋田に訪れた文人たちが現在も秋田の繁華街となっている川反の芸者達には色白美人揃いだったと吹聴したため日本全国で「秋田美人」のイメージが定着した。

◆ 秋田県は人口あたりの美容室の数が日本一と言われている。よって普段から身なりに気を配り綺麗な状態を維持している。

◆ 秋田県民の睡眠時間は47都道府県中第1。睡眠をしっかりとる事で美肌作りに必要な成長ホルモンの分泌量が増える。

◆ 秋田県は日本有数の雪国のため冬はとても寒くなる。暖かい室内と非常に寒い外とを行き来することにより血行が良くなり美肌となる。

◆ 美肌作用があるとされるギバサ(アカモク)、じゅん菜、山の芋、といったネバネバ・ヌルヌルした食材、あるいは健康で若い身体を保つ事が出来るとされる味噌・醤油・漬物など麹を使った発酵食品を多く食べる。

如何ですか?色々な説がありますね〜

どの説が本当なのかは分かりませんがこれだけの要素が重なれば必然的に美人が多くなってもおかしくないですよね(^^)

秋田美人の住む秋田県。その県庁所在地秋田市の街を望む事の出来る場所があります。

02 秋田市街↑秋田市街

千秋公園(せんしゅうこうえん)です。

千秋公園は城跡を本格的に公園化する事業として全国の城跡公園及び近代公園のさきがけとして久保田城の本丸・二の丸跡地を整備して造られた公園です。

03 千秋公園_久保田城跡_本丸跡↑久保田城本丸跡

園内には御隅櫓(おすみやぐら)、御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)、本丸表門などの城に関連する建造物の他、八幡秋田神社、彌高神社(いやたかじんじゃ)、胡月池(こげついけ)、佐竹資料館などが点在しています。

04 千秋公園_久保田城跡_御隅櫓

↑御隅櫓

05 千秋公園_久保田城跡_御物頭御番所↑御物頭御番所(久保田城の遺構として唯一残されている)

06 千秋公園_久保田城跡_表門↑表門

07 千秋公園_八幡秋田神社

↑八幡秋田神社

08 千秋公園_弥高神社↑彌高神社

09 千秋公園_胡月池↑胡月池

10 千秋公園_佐竹資料館

↑佐竹資料館

千秋公園の土台となった久保田城は久保田藩の初代藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)の居城でした。

義宣は1570年、常陸国(ひたちのくに:現在の茨城県常陸太田市)の太田城に生まれ、1591年、父の義重(よししげ)と共に常陸統一に成功し太田から水戸に本拠を移しています。

その後、関ケ原の戦い(1600年)で徳川側に加担しなかった事を理由に出羽国久保田(現在の秋田市)に転封となりました。以降、佐竹氏が明治まで約270年に渡り久保田藩の藩主を引き継ぎました。

11 千秋公園_佐竹義堯公の銅像

↑久保田藩第12代(最後)の藩主・佐竹義堯(さたけよしたか)公の銅像(千秋公園内)

ところで秋田に美人が多い理由の説の一つに義宣が関わっています。

義宣が秋田に転封となった際にその腹いせとして水戸の美人を全員秋田へ連れて来たので秋田には美人が多いと言うものです。これにより水戸にはブ○ばかりが残ってしまったとか。。。。。だから日本三大ブ○の都市に水戸が入ってしまった?

これ以上この説に触れると水戸の女性を敵に回すことになるのでここで止めておきます(^^;

しかし、もしこの話が本当だとしたら義宣はすごいイケ面だったのかもしれませんね。もしくは極端なブ男子だったのかも。

少々気になったので調べたところ義宣の素顔は明らかになっていないようです。家臣たちもあまり顔を見たことがないという逸話まで残っているそうです。

12 千秋公園_佐竹資料館_佐竹義宣肖像画

↑佐竹義宣の肖像画(佐竹資料館蔵)

義宣は肖像画を残しておらず上記の肖像画も明治期に絵師の萩津白銀斎(源勝章)が義宣を描いた古画を書き直したものとされています。しかし、これにしても頬当てをしているので顔全体は見えません。ちなみに片足に見えるのは戦国時代に流行した結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる坐法の変形スタイルを取っているためです。

もう一度秋田美人に話を戻しましょう。

秋田県が開発したお米「あきたこまち」の名前の由来は小野小町(おののこまち)から来ています。小野小町は日本では世界三大美女の一人としていますね。

言い伝えでは小野小町の生誕地は秋田県湯沢市小野と言われており晩年もこの地で過ごしたとする言い伝えが残っているそうです。

小野小町は平安時代前期9世紀頃の女流歌人ですからそれより後の時代に義宣が水戸から美人を連れて来たと言う説の信憑性は薄れますね。

水戸の女性の皆さん。先ほどの説に触れた事をお許しくださいm(_ _)m

と言う事で「口は災いの元」。確信を持つまでは下手な事を言わない方がいいですよ。

とは言うものの秋田には美人になる要素が揃っているのは事実です。例え短い時間でも秋田で過ごしてより一層綺麗になりましょう!

【English WEB】

http://japan-history-travel.net/?p=5620

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